アブソリュート・エゴ・レビュー

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Grace Under Pressure

2014-08-11 22:08:16 | 音楽
『Grace Under Pressure』 Rush   ☆☆☆☆★

 ラッシュ10枚目のスタジオ・アルバム。このアルバムを最初に聴いた時の戸惑いは今でもよく憶えている。戸惑いというか、それはラッシュの変貌の容赦ないスピードについていけないという不安感だったかも知れない。それぐらい当時のラッシュの進化ぶりは凄かった。ラッシュのシグニチャー・サウンドを打ち出した『Moving Pictures』からたった2枚目で、もはや別のバンドのような音を出している。

 前作『Signals』では、『Moving Pictures』とは比べものにならないほど大量導入されたシンセサイザーが特色だったが、そのシンセサイザーにしてもギターやベースにしても、あるいは曲調にしても、従来のラッシュ・サウンドの延長線上にあるものだった。「The New World Man」がいやにポリスっぽいなと思ったが、ちょっとしたお遊びぐらいに思っていた。

 ところがこの『Grace Under Pressure』では、まずシンセサイザーの更なる導入は予想通りだとしても、従来ラッシュが使うことのなかったデジタル音やシーケンサーまでが縦横に駆使され、音色もはるかに多彩になった。もはやベーシストが片手間に弾いているとは到底思えない。それどころか、ベース・パートが全部シンセベースで代替された曲まで出てきた。曲の中でゲディ・リーがまったくベースを弾いていないのである。ベーシストとしてゲディ・リーを敬愛していた私は、これには青ざめるほどのショックを受けた。ラッシュのシグニチャー・サウンドの崩壊である。

 更に、ベースの音、ギターの音、ドラムの音が全部今までと違う。ベースはゴリゴリいわなくなり、ドラムの音はトレードマークだった高音のタム連打が影を潜めて重たい音になり、曲によってはシモンズ(シンセドラム)となった。ギターもスタイルが激変し、ポリス風ギターワークが前面に出てきた。最初に一曲目「Distant Early Warning」のイントロを聴いた時、私は思わず「ギターがポリスになっとる!」と叫んでしまった。

 ついでに言うと、ルックスも変わった。みんな髪が短くなり、ゲディはトレードマークだったリッケンバッカーのベースからコンパクトなスタインバーガーに持ち替えた。あんなに特徴的だったニールのドラムセットも変わった。とにかく、何もかもが変わってしまった。ここまで急激に変わる必要があるのか、とファンが心配になったのも無理はない。『Permanent Waves』や『Moving Pictures』のスタイルがあれほど美しくあれほど人気なのに、なぜそれらをどんどん変えてしまうのか。もったいないじゃないか、と。

 しかし、これこそラッシュが本物のアーティストである証拠である。成功したスタイルでアルバムを量産しよう、ファンが期待するものを提供しようなどとは考えない。リスナーが不安になるぐらい、急激に変貌し続ける。そして表面的に変われば変るほど、本質的な部分ではますますラッシュらしくなっていく。いやまったく見事だ。ギターがポリスっぽくなってもグランジ風になってもへヴィーになっても、シンセサイザーを大量導入しても、決して「借り物」ではないのだ。多くのプログレッシヴ・ロック・バンドが時代に迎合しようとして失速していったのを尻目に、ラッシュが第一線を疾走し続けられたのはこのためである。

 さて、そんな風に急激な変貌を遂げたこの『グレース・アンダー・プレッシャー』、サウンドは全体に重たい。これはドラムの影響が大きいと思う。そして空気感は冷たく、近未来的だ。これはシーケンサーやデジタル・サウンドの大量導入に加え、曲のテーマや歌詞にSF的な題材が多いこともある。それから個人的に注目したいのは、これまでサウンドがどんなに複雑になっても常にメロディアスで端正だったラッシュのリフや歌メロに、何やら妙に前衛的な要素が出てきたことである。「Red Lenses」の不気味な展開、「Between The Wheels」のシンセサイザーのテンションコードなどがその具体例だけれども、一方で「Afterimage」や「Red Sector A」のように、従来より更にメロディックな楽曲もある。

 アレックスのギターはポリスの他におそらくU2の影響もあり、リフによるバッキングとソロという従来のハードロック的なアプローチから、コードワークの面白さを重視するスタイルに変わっている。またコードワークといっても、たとえば『Moving Pictures』の「Vital Signs」や『Signals』の「Digital Man」のようなソリッドでシャープなストロークではなく、もっと荒々しく、野蛮に音をかき回すようなトーンに変わってきている。「Kid Gloves」のギターソロや「Red Lenses」が典型だ。

 シンセベースの曲は2曲。「Afterimage」と「Red Sector A」だが、ゲディは当然シンセサイザーを弾きっぱなしで、そのせいでこの2曲はアルバムの中でも特に近未来的な、寒々とした雰囲気が漂っている。

 「The Body Electric」は、これまでのフットワークの軽いイメージを裏切るようなニールのドラミングに違和感があって最初は好きじゃなかったが、今では大好きな曲の一つとなった。それまでの「せーの」でリフをユニゾンして盛り上げるというスタイルではなく、リズムの組み合わせによってテンションを上げていくという新たな方法論が効果を上げている。

 ところでラッシュは過去に一度だけ来日しているが、それが「グレース・アンダー・プレッシャー・ツアー」だった。もちろん私も武道館に行ったが、いやホント凄かった。初めて生で見たラッシュのパワーは、凄いなんてもんじゃなかった。忘れもしない一発目「The Spirits of Radio」の爆発するようなエネルギー、そしてニ曲目「Subdivisions」の完璧なまでのアンサンブル。それまで単調だと思っていた「The Body Electric」の盛り上がりは凄まじく、ヘンな曲だとしか思っていなかった「Red Lenses」の怒涛の盛り上がりは更に凄まじかった。ホントに、「Red Lenses」の凄さはあのツアーに行った人しか分からないだろう。間奏のシンセサイザーが途切れ、ニールの千手観音ドラムだけになる。スタジオ・バージョンではそこでゲディがちょっとだけスラップをやるが、コンサートでは鬼のように弾きまくる。ゲディのスラップは弦をものすごい速さで引っ張るという独特のもので、そのベキベキいうベースとドラムの嵐の中、ギターを引かないアレックスが踊りまくる。その後再び来襲するシンセサイザーの嵐。もんのすごくかっこいい曲に激変していて、唖然とした憶えがある。

 私はいつかまたあの「Red Lenses」の演奏を聴きたいと熱望しているが、マイナーな曲なのでもうやることはないだろう。冗談抜きに、あの生演奏を聴いたことがないラッシュ・ファンには心から「ご愁傷さま」といいたい。

 その他にもゲディの一人三役ぶりの凄さとか、「New World Man」の終わり方が劇的にかっこよかったこととか、スタインバーガーのベースの音があんなにいいとは思わなかったこととか、あのコンサートについては語りたいことが山ほどあるが、きりがないのでやめておく。まあとにかく、この『グレース・アンダー・プレッシャー』は、私にとってそういう思い出とともにあるアルバムなのであります。



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