アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

家守綺譚

2005-06-13 00:49:29 | 
 ようやくブログというものに手を出すことにしました。とりあえず、映画や小説なんかのレヴューを色々、手当たりしだいに書いていきますのでよろしく。自分の備忘録も兼ねてます。ただしなるべく未見の人や未読の人が読んで参考になるようにします。☆は5点満点ということで。

『家守綺譚』梨木 香歩   ☆☆☆☆☆

 ちょっと前に読了。この人の本は初めてでさほど期待していなかったが非常に良かった。物書きである「私」がある家の家守、つまり管理人になって住み込み、庭にある花や木や、狸や犬や亡くなった友人などと交わす不思議な交流の記録というのが物語の体裁である。サルスベリに懸想されたり、掛け軸の中から死んだ友人がボートに乗って現れたり、狸に化かされたり、河童が出たりする。この本は目次を見ると全部植物の名前になっていて、サルスベリ、都わすれ、ヒツジグサ、ダァリア、ドクダミ...という調子なのだが、狸や河童メインの話でもタイトルになっている植物がどこかしら現れて興を添えるようになっている。
 タイトルや目次からはなんとなく自然描写が織り交ぜられた随筆風のもの、どぜうやてふてふを観察する老人日誌のようなものが連想されるが、なんとなくそういう風情も漂わせつつ、シュールで軽やかで、時に美しい幻想譚が繰り広げられる。「私」や周囲の人々(和尚、隣のおかみさん、長虫屋、死んだ友人の高堂)の言動はユーモラスで楽しい。幻想譚といってもどろどろした耽美志向やドラマチックさは微塵もなく、からっと乾いたオフビートかつシュールなエピソードが淡々と羅列されていくという、実に私好みの、肩の力が抜けた佳作である。日本の作家の幻想小説というとやたらじめじめと湿った、センチメンタルな、自己陶酔的な作品が多いので、こういうのは貴重だ。
 それからまた嬉しいのは文章が簡潔ということだ。「私」が家守となった経緯など冒頭のパラグラフ一つの中であっさり説明が完了する。ただ簡潔なだけでなくしなやかで自在でもある。名人の草書体を思わせる品格がある。全体に漂う押し付けがましくない、オフビートなユーモアもこの文体に負うところが大きいと思う。
 文体の簡潔さ、オフビートなユーモア、耽美や猟奇をきっぱり排した硬質な幻想、幻想のナンセンス性、非感傷性、「家守」という枠組みでエピソードをゆるく羅列していく構成、などなど、ちょっと見には古めかしさを装ったこの小説は極めて現代的な幻想小説と言っていいと思う。
 ところで床の間の掛け軸からボートに乗って死んだ友人が現れたり、白木蓮がタツノオトシゴを孕んだり、河童の抜け殻を拾ったり、というような発想は川上弘美を思わせるが、川上弘美よりあっけらかんと乾いているところが良い。川上弘美にはセンチメンタリズムと文学的な気取りを感じ、私は好きではないのだ。随筆風の文章であっさりと怪異が描かれる点では内田百にも似ているがあれほど不気味ではない。
 それからどうでもいいことだが、作中会話は「」ではなくすべて―で表現されている。

 ―具合でも悪いのですか。
 ―苦しいのです。吐き気がして。頭が割れんばかり。
 ―大丈夫ですか。

 ってな具合だ。ミラン・クンデラの小説では皆こうだが、これはフランス小説の慣習なのだろうか? まあ何でも良いが、これも私には気持ち良かった。色々な意味で現代的で、洒落た小説だった。

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