崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

感謝である

2019年06月15日 06時12分36秒 | 日記

 愛犬ミミが生きているだけで嬉しく、感謝である。看護、介護に最善を尽くしている。水だけ少し飲むが食べず、ただ視線を合わせてくれる。傍に一緒にいたいが私は出勤、日本文化論講義、私の現地調査のノートから沖縄の洗骨、久高島の海蛇・イラブーのことを紹介、東南アジアからの留学生たちの水葬、火葬、鳥葬など話が広がった。その後トータルビューティー学科のファションショーを見に行った。顔を知っている学生たちが照明を受けながら登場した。華麗な盛装、また、一般服もショーに登場、それにふわしいヘアスタイルをその場でショーとして見せてくれた。帰宅して、夜、1時間ほど韓国のテレビ局からの電話相談。私は日韓関係などにとらわれることなく、調査した事実に基づいて正しく編集するように、国民へ影響力のある良い番組を作るように願っていることを話した。深夜ミミの病状変化、我が夫婦の看護、介護が続いている。


琵琶、水、お茶、入れ墨の話

2019年06月14日 05時22分36秒 | 講義

 琵琶は楽器しか知らなかった私、日本に来て琵琶の木があるところに住んでから果実の琵琶を知ることとなった。しかしその味を知り、美味しいと思うようになったのは最近である。昨日も古本氏の差し入れ、留学生と琵琶パーティのようであった。韓国の冷水文化を話題に、韓国にはお茶文化がなかったと話すと驚く。日本の水道水は奇麗だと信じ、私も冷水を飲むことが多かったが、水タンクの中で人が泳ぐ映像を見てから止めることにした。講義では30年ほど前私が台湾で撮った入れ墨写真からパラオを含む文化を紹介した。入れ墨に明るく反応したのはネパールの学生たち。一般的であるという。琵琶、水、お茶、入れ墨の話を楽しんだ。櫛田学長が東アジア研究所に韓国の焼物の大壺を寄贈して下さった。感謝である。


韓国経済問題が良くないと

2019年06月13日 06時01分47秒 | 日記

 昨夜二つの番組が専門家により、韓国経済が良くないと語り、同時に毎日新聞(6/12(水) 20:28配信)「日本に良い印象を持つ韓国人は過去最高」という日韓共同世論調査が報じられている。韓国に良い印象を持つ日本人が20・0%で過去最低だったのに対し、日本に良い印象を持つ韓国人は31・7%で過去最高となった。韓国から日本への渡航者の増加が印象の改善につながったとみられる。韓国人が日本の「良い印象」として挙げた理由では、「日本人は親切で誠実」「生活レベルが高い」という。日韓関係に常に関心をもっている私としては日本の嫌韓傾向が強くなっていくのが心配である。今月は2回ほど日韓親善協会の集いに参加予定である。その会誌にも寄稿文を送っている。日韓関係はまだ健全だと思っている。


昭和の下関市

2019年06月12日 06時36分46秒 | 日記

 昨夜地元の人たちが集まる裏町文化塾の会で下関の歴史写真を橋本龍一郎氏が『戦前戦後昭和の下関市』という題で見せてくれた。1920年代から戦後までの写真、絵はがきの写真である。海と山を基点に位置を把握し、電車の線路、古い建物が今も残っているところに面白さがあった。しかし人、生活が見えなかった。日傘の女性の写真一枚だけであった。どのような時代であったのか、興味が湧いてきた。二部は自由席、私の勧めで自己紹介、言わなくても皆知っている。食事を挟んで雑談、180年のお菓子屋の名店女将さんと同じテーブル、味、日本人の「甘さ」の嗜好について質問した。しかし、騒音で答えが聞き難かった。


旧稿を探している

2019年06月11日 05時56分00秒 | 研究業績

 私が下関に住み始めた10余年前に付き合った人が転勤地沖縄から戻ってきて、昨日会った。彼は私が忘れた私の付き合った多く人の名前を記憶していた。どうしてそんなに覚えているのか。彼も日記か日誌を書くのだろう。昨夜ある教授から私の旧稿を探しているという電話があった。それを探しても見当たらない。昔のノートや日記を探した。それとは違うノートを見つけた。1993年イギリス・ロンドン市内でイギリス人牧師の家に1か月ホームステイしながら教区parishの活動を調査したノートが見つかった。発表していない生の資料である。新しい発見とも思い、嬉しかった。
 アントンチェホフが着地とされる海中の3人兄弟岩を背景にしたニコライ氏と撮った写真を懐かしくみた。サハリン・アレキサンドロスク市でロシア人家庭にホームステイしたことを思い出した。ノートと日記、写真を合わせてやーと2002年8月28日レーニン街10-7のニコライ氏宅であることが分かった。また行って見たい。今、チェホフの本を夢中に読んでいる。


8964日

2019年06月10日 06時41分56秒 | 講義

 先週、8964日(天安門事件)の記念日に書くべきだと思ったが、控えてきた。感想がないわけがない。中国からの留学生も多く、控えたのである。しかし、むしろ書くべきである。ソ連崩壊以降民主化が急進する中、中国が直面した事件であった。天安門事件をみながら独裁資本主義経済が開放され民主化が流入し、政治への影響があろうと私も思った。それは大外れだった。「国家の統一のためならどんなこともする」というカダフィーの言葉のような中国は世界的に経済的発展をしている。

 近代化は技術、政治、思想、経済など総合的にされると思ったがそうではない。経済と倫理や宗教などと関係があるような論著は山ほど多い。私もウェーバーの「キリスト教と資本主義」に影響されてきたので失望が大きかった。私は台湾の政治的な変化には驚いた。民主化、経済発展の良いモデルをみせている。今中国とアメリカは覇権争いをしている。中国式の発展論がモデルになるかも知れない。今民主主義もポピュリズムなどの問題を露出している。中国のものが例外か正論か、見守っていきたい。


秦郁彦氏に日本研究特別賞

2019年06月09日 05時33分13秒 | エッセイ

  第6回国基研の日本研究特別賞は『慰安婦と戦争の性』の著者秦郁彦氏に決まった。また、奨励賞の一人に『犠牲者120万人』(ハート出版)チベット研究者ペマ・ギャルポ氏。慰安婦問題の歴史的な研究に不動の姿勢を持つ秦、世界があまり知らないチベット問題を扱ったギャルポ、アメリカの排日運動に関して書かれた蓑原俊洋の諸先生、おめでとうございます。拙著『慰安婦の真実』を出してくださったハート出版が連続受賞作、おめでとうございます。
 慰安婦問題は政治的な関りが強く、時には一時的な現象のように、日韓関係の良し悪しのバロメーター的になる傾向がある。しかしそれは戦争と性という人間の本質にかかわる問題である。私も続けて挑戦的に考察していきたい。


ノートを持たない学生

2019年06月08日 05時51分12秒 | 講義

 時代が変わる。講義が変わる。講義に紙資料として読み物、PPT、感想紙などを用意している。紙のノートを持っている学生はいない。スマートフォンだけを持っている。筆記することはなく、画像を撮ることはある。このような風景は教室だけではない。講演や各種行事の集まりでもそうである。紙と印刷文化は低下している。時代が変わる。逆行することは出来ない。変化に乗らざるを得ない。ボールペンより万年筆が味があるといっても変化には順応せざるをえなかったように。60年代にアメリカの未来学の学者たちが予想した通りに、ネット文化の発展によって社会生活が変る。会社や学校に人が集まることが少なくなる。学校は従来の情報や知識教育から社会活動へ、コミューケーション方法、他人と協力し合う教育へと変えなければならない。


メコン川流域

2019年06月07日 05時52分47秒 | 講義

 古本義弘氏が別荘から琵琶を取ってきた。読書会メンバーに分けて上げようとしてたくさん持ってきたが昨日は私しかおらず、他のメンバーはそれぞれの都合で欠席、二人で一箱を前にして美味しく食べた。マンションの隣人にも分けてにあげた。豊富感を満喫、幸せ。昨日の本欄の「ひきこもり」に多くの方から反応、議論を寄せてくれた。中にはご自分の問題として教会へと、意欲を表した。ある人は私に教会出席は無駄のように言った。それは私自身の規律、自立、生き方が主である。ひきこもり対策ではない。ひきこもっていても自立している人であれば問題はないと思う。
 昨日「アジアの言語と文化」の講義の時間に突然同僚瀧田修一氏が授業参観に来られた。東南アジア経済が専門、私が用意した授業はメコン川流域の私自身が撮った現地調査写真を出発点とした。偶然瀧田氏の専門地域と一致してよかった。水上マーケットなど川を利用する文化、話はゆっくり流れ、布朗族のイヤリング(写真)から皮膚美容より贅沢な飾り文化などについて語った。水洗トイレ、男女区別のマークについてはベトナム、ミャンマ、ネパールの留学生からの反応、学生のコメント、最後に瀧田先生から総合的なコメント、授業は参観者とチームティチングになった。感謝。
 


「国語」教育は大丈夫だろうか

2019年06月06日 05時22分14秒 | エッセイ

 日本人の学生は「日本語が分からない」という。その学生だけではない。私も日本で一世代分の歳月を生活し、日本語で本も書いて、多くの読者もいる。確かに日本語は難しい。その私が俳句集を読んでいる。「柿ひとつ残す生き方ジャポニズム」「銀杏踏む過ちと知りつつ踏む」(堀節誉)という二句をどう読むか。絵を鑑賞するように自分で感ずるだけで良いのか。日本ではなぜ冬に柿を残すのか、日本文化であるとか、その風景が目に広がる。また「銀杏踏み・・・」失敗は日常の言語生活ではよくあるよくこと。そうでなければ会話も棒読み式にならなければならない。アメリカの有名な戦争論者のワーシャーM.Walzerは「戦争は正しいRight War」ともいい、私は拙著『米軍慰安婦の真実』で子供の時感じた「戦争は怖く、楽しい」と書いた。危険な妄言であろう。私は韓国の二級「国語」教師、高校と大学で国語を担当したをことがある。文を読むということは文脈、文意、大意から解釈するように教えた。日本の妄言騒ぎの多くは単語を以て煽動、一斉に、いじめへという傾向が強い。日本の「国語」教育は大丈夫だろうか。句を書きたい。


「ひきこもり」

2019年06月05日 05時31分40秒 | 研究業績
 私は時には古典的な詩人などの名士の言葉として「杜門不出」と書いたことがある。今日本では「ひきこもり」が話題になっている。それは病的現象である。私は日本に留学、住居して以来常にそれは日本的な社会現象、日本文化的な病だと感じている。「仕事や学校に行かず、かつ家族以外の人との交流はほとんどせずに、6か月以上続けて自宅にひきこもっている状態」という。
 天災等パニック状態でも秩序を守る優秀な日本社会・日本文化、「迷惑かけない」イジメ、律法主義、「ハラスメント」妄言などへの社会的バッシングが酷い。「恥の文化」の最後の「砦」が「家」、そこにコモル。しかしその家、家庭が犯罪の巢窟のように思われることが話題になっている。悲しい。改善の方法は一つ。保護、支援一方のネガティ的ではなく、個性が自立するパーソナリティー教育、否定消極的な支援から肯定的な人間教育へ教育改革が必要である。

NHK「証言」

2019年06月04日 05時11分51秒 | 研究業績

 毎日のこの短文では多くの世界情報には応じられない。他人からは意味のない事柄多く、身の回りが優先。昨日寝たきりの愛犬に見舞いに来られた隣の奥さんにミミは吠えた。その元気さに大喜び。家内の適切な介護で元気になるかも知れない。
 親しい知人の堀節誉氏の句集『渋』を手にし、日本語の勉強を兼ねて楽しく読みたい。22世紀アート出版から拙著『映像が語る植民地朝鮮』が電子ブックと紙の本の両方ともアマゾンで売られるようになった。多くの読者とコミュニケーションをしたい。
 日韓の8月、終戦と解放の記念プログラムに協力する。韓国で「反日番組」にはなって欲しくない。そのために正しい情報と、解釈を話した。サハリン朝鮮人虐殺については故林えいだ氏から裁判記録、元PDの方から頂いた資料が全部である。2011年NHK「証言」で唯一の生存者の札幌居住の栗山正二氏を探している。


「少数読者」

2019年06月03日 05時38分56秒 | エッセイ

 拙著『樺太朝鮮人の悲劇』はあまり売れる本ではないが、今その本が注目されて取材を受けている。改正版を考えているが、ある出版社社長の話が気になる。本はとうぜ売れないから興味ある「少数読者」を対象にするという。もちろん実態を知っている社長の話ではあるが、このネガティブ発言に私はノーNoと強く言った。ネット文化の影響で紙の本が売れないことは認めるが、私は多くの読者へ接近したいと思う強い奉仕精神が望ましいと思うから積極的、肯定的に対応すべきであると思うからである。多くの人に読みやすく、分かり易く読まれるように誠意を尽くして出版したいと思っている。


マナー

2019年06月02日 13時45分27秒 | 日記

 石山氏はイギリスに40余年以上住んでおり、ヨーロッパでは韓国人や中国人とは異なる、「日本人である」ということだけである程度待遇されると言った。それは長い間日本人、日本文化が上付けた成果ともいえる。その時、ヨーロッパからこのようなニュースが飛んできた。度を超えた話である。中国で開催された国際サッカー大会で韓国代表が優勝トロフィー小便をかけるフリと足でおさえたことに中国メディアは「侮辱的な行為だ」と厳しく非難し、韓国の優勝を剥奪したという。そこに日本が対照される。日本のファン・サポーターのマナーが称賛される。日本でもポーツ選手が嬉しくメダルなどを齧るようなことが多い。それも注意すべきであろう。


私の性格、人格を本質的に変えたミミ

2019年06月02日 05時52分49秒 | エッセイ

  色々病気を持つの愛犬ミミは危篤状態、前日の血液検査、レントゲン撮影の結果から、狂犬病の予防注射などを受けた。それががストレスとなったようだと言われた。朝一番に再度その病院で処置していただいた。昨夜ミミを真ん中に寝かせ、両側にわが夫婦が横になって泣きながら見持った。私の生活リズムは一気に崩れた。動物病院での愛犬談がいろいろ聞こえる。ある人は高価格で売るために小さく変形させられ、それを知らず買って、手術などで多額の費用が掛かったという。それでも犬を愛する。なぜそこまで犬を愛するのか。大きい教訓がある。
 私のことから考える。前にも書いたミミちゃんとの生活により私の性格、人格が本質的に変った。過去の私は冷静な人間であったと、その時代を振り返ってみる。今、本気で温かい人間になったように自覚する。以前の知的な愛に比べ、今私は「知と情」により本気で犬や人を愛する。その心、態度は完全に変った。昨日犬の病気の最中、イギリス・ロンドン在住の石山望氏が訪ねて来て、関門海峡が眺められるところで昼食を挟んで談笑した。