崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

「国語」教育は大丈夫だろうか

2019年06月06日 05時22分14秒 | エッセイ

 日本人の学生は「日本語が分からない」という。その学生だけではない。私も日本で一世代分の歳月を生活し、日本語で本も書いて、多くの読者もいる。確かに日本語は難しい。その私が俳句集を読んでいる。「柿ひとつ残す生き方ジャポニズム」「銀杏踏む過ちと知りつつ踏む」(堀節誉)という二句をどう読むか。絵を鑑賞するように自分で感ずるだけで良いのか。日本ではなぜ冬に柿を残すのか、日本文化であるとか、その風景が目に広がる。また「銀杏踏み・・・」失敗は日常の言語生活ではよくあるよくこと。そうでなければ会話も棒読み式にならなければならない。アメリカの有名な戦争論者のワーシャーM.Walzerは「戦争は正しいRight War」ともいい、私は拙著『米軍慰安婦の真実』で子供の時感じた「戦争は怖く、楽しい」と書いた。危険な妄言であろう。私は韓国の二級「国語」教師、高校と大学で国語を担当したをことがある。文を読むということは文脈、文意、大意から解釈するように教えた。日本の妄言騒ぎの多くは単語を以て煽動、一斉に、いじめへという傾向が強い。日本の「国語」教育は大丈夫だろうか。句を書きたい。

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