崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

「不浄の意味」

2019年06月25日 05時46分13秒 | 研究業績

 家内は病院で看護の仕事をしている。仕事の内容は現場を見ていないのでよくわからない。命を大事に扱うナイチンゲール精神云々と言われるが、多くは弱っている人のケアであり、家では私の介護と犬の看護をしているのを見て教えられることが多い。家内は犬に排泄させる。温かいお湯で体をふき、傷を消毒して上げる。私は聴診器でミミの心臓の音を聞き、撫でてあげる。排泄物も「汚い」という感が薄れている。
 不浄と浄の区別がつき難くなっていく。空気汚染が酷いのにそれを感じない人も多い。なぜであろうか。社会ではさまざまな浄化施設をもっている。そのような社会運動も多い。そこに努めている人が多いことに感謝すべきである。愛、命には浄と不浄が共存している。不浄を共有することも愛の本質であることを知らなければならない。*参考:崔吉城「不浄の意味」日本語、韓国語、英語、フランス語の論文あり