崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

「哭」

2015年04月16日 04時22分44秒 | 旅行
 芥川賞受賞作家李恢成氏が送ってくださった「哭」(1979)を読んだ。新潮文庫に収録された短編小説である。済州島の海女の娘の景南と結婚した「わたし」が生活したことを描いている。景南の母の元海女が亡くなり「大哭」の時

 兄嫁の哭き声は今は何はばからぬものになり、とうとう「アイゴォー。アイゴォー」という哭き女の堂々としたリズムにかわっていった。景南は顔を伏せたまま、何かをこらえていた。

 韓国の哭文化の変化を表す断面の短編小説である。作家の「わたし」は悲しさと哭の関係があるのか、問うのである。私の『哭きの文化人類学』『恨の人類学』のテーマであり自分の文を読むような気持ちになった。しかしこの小説は本が出るはるか前の1979年の作であり、彼の作家意識に驚かざるを得ない。
 韓国の大哭文化は今では地下に収まっていく。マンションなどで哭は自制するようになり、病院の葬儀場も地下階になっている。地下室で哭き放大になっている。悲しさは哭、涙、騒音、静かさなど多様である。レニングラードの墓にある大きい涙壺は悲しさの表現である。写真は10年ほど前私が撮ったものであり、二人の石像が涙壺を抱えている。印象深い。

酒井董美氏の書評

2015年04月15日 05時27分31秒 | 旅行
 フェイスブックの公開コメント欄に投稿された島根大学名誉教授の酒井董美氏の書評を紹介します。

 著者は昭和15年(1940年)生まれの韓国人研究者であり、わが国の大学で教鞭を取っている現役の民俗学者である。昭和25年(1950)6月に起きた朝鮮戦争当時10歳だった著者が、住んでいた38度線に近い韓国の農村で体験した国連軍(米兵)による婦女暴行の事実や、韓国軍も自国やベトナムで起こした同様の事実を述べ、慰安婦が来村したとたん、米兵によるそのような被害がなくなったことを挙げながら、儒教国家である韓国が、村の女性の安全を守るため、慰安婦の来村を歓迎している矛盾を指摘し、同時に米軍慰安婦問題には寛容でありながら、韓国を侵略した日本軍のそれを為政者が政治的に利用して問題化する矛盾を、歴史的な経緯を押さえながら主張している。このことは自身の生命の存続も危ぶまれる、戦争という非常事態に追い込まれた兵士たちの、せっぱ詰まった感情が、一時の快楽に己を投じさせ、このような惨劇を生むものであろうと論じている。
本書で明らかにされている重要な事実は、ビルマ(現・ミャンマー)で書かれた「日本軍慰安所管理人の日記」文書の紹介である。これは個人の日記であり、世間で喧伝されているような日本軍が慰安婦を直接徴発したのではなく、あくまでも商業経営として存在していたことが自然に理解できる。
 本書の刊行は、韓国政府側から見れば、必死になって伏せておくべき内容であろう。しかし、一研究者としての著者の良心は、決して時流に流されることなく、事実を事実として資料を詳細に検討し、分析を加えている。同じ資料でも韓国政府寄りで正反対の解釈を示している韓国内大学の研究者とは、大きく異なっているのである。著者は自国内から非難されることを覚悟の上で、自身の体験を通して、韓国内に起きた米兵や自国兵士たちの婦女暴行の事実を披露し、原因を検証しているのである。本著は今後の日韓友好に大いに資するものであることを私は断言したい。


『ヨーロッパからみた独島』

2015年04月14日 05時17分42秒 | 旅行
 『ヨーロッパからみた独島』(明石書店)が届いた。私の『哭きの文化人類学』(勉誠出版)の訳者である舘野氏が訳した本である。日本名の竹島を「独島」と韓国の地名をそのまま表記したことは意外な感がした。まず韓国で「竹島」という題で本が出版されるかが疑問である。記憶に新しいアメリカの川島氏の小説「竹林はるか遠く」がバッシングされた風潮があるからである。東北亜歴史財団の理事長鄭在貞氏の「刊行に寄せて」には「日本が韓国の固有領土である独島に対する領有権を主張し、国際舞台での争点をつくり出そうとする動きを強めている現実において、本書は今後の国際舞台で、韓国の主張がもつ正当性を広めていく広報戦略の樹立に、学術的で専門的な資料提供の役割を果たすと期待されます。」と記しており、「訳者あとがき」舘野氏は「メディア報道の最終的な評価や位置づけにおいては、韓国政府の主張とほぼ符合するものになっている。けれども、そうした結論に達するまでの定性的、定量的分析を行う過程は、公正かつ客観的なもので納得のいくものである」と書いている。
 まず韓国で客観的とはいえ、日本側にたって領土問題の本が出たとしたらどうなるかを想像する。以前は事前検閲があったが、今はなくなった。朴裕河氏の本が裁判中であることを考えると日本に比べて韓国には民衆の言論の自由意識が非常に低調だと言える。自由とは法律によるものではなく、自由意識から闘争して得られる先進化の過程を経て得るべきである。その意味では日本も民衆の自由意識は高くないが、民主化の道が浅い韓国では民衆の言論意識がそれほど成長していない。民主化の路程はまだ険しい。「まえがき」に「韓国の領土主権の問題だけでなく、東アジアの歴史を正しく理解しようとする際により広い視覚と展望を提供することになると信じている」と書かれている。


 

キューバ

2015年04月13日 05時32分05秒 | 旅行
 オバマ大統領がキューバのラウル・カストロ議長と首脳会談を行ったというニュースを聞いて感動している。オバマ大統領の勇気ある決断に賛同したい。長い間,アメリカの喉にひっかかった魚の骨のような存在だった隣国キューバへ手を差しのべている。次は当然北朝鮮との国交正常化が期待できる。日本は追従するだろう。このような大きい決断を日本に期待することはできない。すぐ日本の岸田外務大臣がキューバ訪問を発表したというのを見ても日本の自主性はあまり期待できない。オバマ氏には当選初期の期待に及ばず失望した人も多いが、私はアメリカが先導しなければならないという覇権主義から脱皮したのは業績と見る。今残った任期は長くない。次はアメリカ初の女性大統領を期待したい。
 日本では今フェミニストのような政治家たちが女性を抜擢して失敗したことが話題になっている。女性自から自主的に出なければならない。無理に芽生えたツボミを引き抜いて殺してはいけない。中国の故事のように隠れている人士を三顧草廬して英雄を作る時代ではない。ヒラリー氏の言動と業績に基づいて選挙が行われることを期待する。彼女の政治、政見をよく知る事ができなかった国民が選んだ朴氏へ失望がヒラリー氏に傾くかもしれない。アメリカの大統領によってキューバへの政策などに引き続き、東アジアの大変化も期待している。

「太極旗」「日の丸」

2015年04月12日 04時43分28秒 | 旅行
「東洋経済日報」<国交正常化50周年特集>寄稿文(2015年、4月、10日)

 新旧年度の変わり目の季節。卒業式や入社式、入学式、各種式が全国的に多く行われた。私も大学の各種の式に参加した。卒業式と入学式に参列した時、気になったことがある。学長などが登下壇するたびに日の丸に目礼をすることである。韓国民団などの行事では太極旗に同様なことをする。ある時は万歳三唱などを日韓においてそれぞれの場で行われる。日本では日の丸を掲げて君が代斉唱をし、韓国では太極旗を掲げ愛国歌斉唱をする。このようなことは日韓に限らずどの国でも行う一般的な礼式である。日本で式に参列した韓国人が日本の厳粛性を感じたというように文化体験と思うべきである。
しかし日本ではそれについて「帝国日本」の歴史を思い起こし、それへの屈従と思い反対する人や日の丸を掲げないところもある。歴史的には内村鑑三のように宗教的偶像崇拝と反対した不敬事件の例もある。つまり日の丸に敬礼をせずに降壇したことが同僚・生徒などによって非難され社会問題化されたのである。その近い歴史はまだ残っている。
外交上国家元首が他国の墓地などを訪問して礼をするのは一般的である。しかし一般的に韓国人が日の丸に敬礼することはあり得ない。逆でも同様であるが。韓国人が抵抗感を持っているのは礼儀上のことではなく、歴史の脈絡からのことである。いわば歴史認識が問題である。
韓国からの留学生が多く参加している入学式に日の丸がかけられている。私は内心懸念した。彼らが抵抗感をもたないだろうか。また新入生は下関の名所の功山寺で僧の有福氏による説法があり、目覚め鞭を受ける仏教儀礼に参加、留学生たちも座禅をした。クリスチャンの学生もいるはずである。宗教儀礼を文化体験としていた。日の丸や座禅、儀式などを日本文化として体験した彼らにとって異文化体験である。私が留学した時に日本文化に馴染めず、抵抗感を持ったことを思い、留学生たちが心配になった。日本文化を異文化体験として受け入れることを願う。それに抵抗を持つ人は他の異文化にも適応することが難しい。いま私は寺院などで目礼くらいはしている。
 私が参列して懸念している時それを配慮したかのように櫛田学長の祝辞が語られた。彼は「地域に生き、グローバルに考える」と前提にし、広い世界観に立って物事を一面からだけ眺めるのでなく、多様な視点から分析し考えること。物事には問題が潜んでいるので、このことを深く考える習慣を身につける。そして、人として正しい考え方の基準を獲得するに心がけたいと思う。そのために、今の事柄だけでなく歴史に学び、文化遺産からも、時間をかけて多くを学ばなければならないという祝辞であった。
背負った幼児から学ぶということばがある。老サルが子供サルから学ぶという実験もある。今良くない日韓関係の和解の方法を学生たちからリベラルを学べと言いたい。





日本文化論

2015年04月11日 05時37分50秒 | 旅行
日本文化論のスタートは南洋群島のパラオであった。10余人の学生は日本、韓国、中国、モンゴルと出身国が異なる国家民族の広がり、多様な構成、まるで国際会議のようであった。ニュースになっているパラオについて私の現地調査の写真などを紹介した。スペインからドイツ、そして日本の委任統治領となって、アメリカ統治、独立への、その島の植民地の歴史を簡略に語った。そしてその国では植民地された歴史に否定的な歴史認識を持っていない。親日的なことに対する意見を求めた。ノートしたものを参考にしがら話すように誘導した。学生たちは躊躇せず発表した。今懸案となっている歴史認識を問うてみた。偏見なし、先入観なし、自他ない、味方ない客観的な見方のリトマス実験の瞬間であった。難しいスタートであった。
広島大学大学院総合科学研究科の『アジア社会文化研究』16号が届いた(写真)。嬉しい。私が在職中に院生たちに学生たち自らスタディグループを作ることを話したことが契機になり、フーコの『性の歴史』の読書会ができ、後にアジア社会文化研究会が出来上がってこの雑誌を作ることになった。創刊号から私が編集を担当したが私が離れて諸先生方の参加により活発に研究誌として発展してきた。今月号では三木直大教授の責任編集で「ともかく16号まで続きました」というメモが入っていたのを見て先生と学生たちのご苦労に感謝と賛美を送りたい。私の研究エッセイの「朴正熙と農村振興運動」が掲載された。朴大統領のセマウル運動は宇垣朝鮮総督の農村振興運動に遡れるという内容である。題の中に農村復興運動を「農村振興運動」に訂正したい。

全ての人々

2015年04月10日 04時50分09秒 | 旅行
天皇と皇后は太平洋戦争激戦地であったパラオを訪問した。戦争で亡くなった全ての人々を追悼したと報じられた。パラオは1920年代から日本の委任統治領であって帝国日本の南洋への進出の拠点となっていた。アメリカとの戦争でその島などを死守しようと多くの犠牲者を出したところへの慰霊訪問であった。我が夫婦も一昨年その島で現地調査を行ったこともあり、住民たちが天皇を歓迎する映像を見て特に天皇が「先の戦争で亡くなった全ての人々を追悼します」というお言葉に感動した。「戦争で亡くなった全て」の「全て」の中には日本人や朝鮮人を含む、当時敵であった米軍の戦死者も含むということである。敵への慰霊は本当に日本の未来志向の平和と人道主義的なことであり、歓迎したい。今朝鮮半島の南北の政府は互いに敵の死者を慰霊することができるだろうか。
昨日は新しい顔の留学生たちの前に立った。私の名字を見て中国人ではないかと思ったという学生がいた。外見では区別がつき難い東アジアで通じる話を展開していくつもりである。新学期最初の授業、留学生の大学院生、学部生、読書会で忙しい一日であった。留学生たちへのクラスは私の留学の経験談から始まった。中国からの留学生の李君は日本での生活になれても中国に帰ってからは中国式になってしまうと言う。学校で学んでも社会に出ると社会に適応するという話と同様である。日本語のことわざ「郷に入っては郷に従う」ということである。しかしイエスは世間に学ばないことを教えた。私は社会の改革者を育てたい。「全て」の人のために…。

ソウルの姉から

2015年04月09日 05時34分53秒 | 旅行
 今週の日曜日は家内の誕生日、それを知らせてくれるようソウルの私の姉からワカメなどを送ったというメールが届いた。聖ルカ病院で看護師をしていたときからの縁で、結婚40数年になっている。家内も高齢者であるが現職で頑張っている。その上新しく仕事の兼職が依頼されている。その仕事より家事はもちろんのこと、私のための運転、原稿の校正などが主な主業と言える。ブログやFBの日記から手紙、原稿の校正などをしてくれる。私が日本語のニュアンスが分からないものの辞書、銀行、ショッピングなどのごまごま一切を任せている。ただの仕事のレベルを越えて研究の内容、ドラマの論評なども議論や相談役にもなっている。
 結婚していらい一度も夫婦喧嘩がないといってよいだろう。夫婦喧嘩の多い韓国ドラマを楽しむ家内がそれを見習うのではないかと懸念する。韓流ドラマにはまた嘘が多い。しかし面白い。いつだったか話し中、わが夫婦には夫婦喧嘩がないと宣言(?)すると「愛情がないのか」と言われた。夫婦喧嘩は愛情の表現の一つであろうと言ういいわけである。しかし、韓国人にとって喧嘩はマイナスの面だけではない。日本の外交においても考えてほしい。私の今の気になる点の一つ4月12日お祝いに外食、場所探しである。海を眺める景色の良いところ、我がマンションしかないのでは、、、。


외숙모님 생신축하드립니다
안녕하세요 어머님께서 생일선물로 미역하고 마른반참 조금 보냈습니다
생신에 챙겨드세요...
어머님은 1년동안 텃밭가꾸며 요것조것 심고 추수해서 말리고 그것을 동생에게 보내는 낙으로
1년을 건강하게 사십니다 목표가 있으니 나름 의미있는 삶이겠지요...
지난 구정에 성묘가서 찍은사진 동봉합니다
건강하시고 안녕히계세요

조카 올림

白嶋正人氏の書評

2015年04月08日 05時59分57秒 | 旅行
 拙著が出て3か月半になり読者の感想がネット上かなり貯まっている。地域メディアに献本したが反応は冷淡である。日韓関係を必要以上に懸念するか、言論意識の欠如か。その中でまだ面識のないFB友の白嶋正人氏の書評をネット上見つけ、驚いた。購入して精読して長いコメント、高い批評であり、感謝である。筆者の承諾を得てここに全文を紹介する。

白嶋正人「韓国の米軍慰安婦はなぜ生まれたか」 を読んで2015年4月6日 21:13
 
 先ず、堀まどか氏〔国際日本文化研究センタ-機関研究員〕が書評で述べられている、このタイトルでは誤解を招きやすい、このことよりも僕は、帯に書かれた方に目が行った。長いがすべて書くと〔韓国に日本を責める資格があるのか ? 〕〔故郷が通称「売春村」となった体験を持ち、韓国メデアから「親日派」と猛バッシングを受けた文化人類学者が赤裸々に綴る〕〔「従軍慰安婦」を捏造し、「強制」がなくても「人権」が問題と強弁する韓国がひた隠す性事情〕この長すぎる少しだけセンセーショナルなキャッチコピーについて、おそらく出版社の販促の為であろうが、著者の崔教授に依るものであれば、そういうスタンスであることが分かる。前置きが長くなったが、本書の冒頭の「はじめに」の部分で著者がテーマとして言っている、「韓国人」と「性=セックス」だが、「韓国人」に就いては文化人類学者として研究されてこられた事に依るもの、「セックス」に就いては少年時代に故郷が「売春村」となり間近で売春婦を見て来た事に起因するものと思わされる。 「戦争は絶対いけない」などと言うような反戦倫理などと言うものはなかったと言っているが、それはそうだ、反戦倫理などと言う思考はある程度の知的教育を受けたのち生まれてくるもので、10歳の少年には何故? とは思ってもその思想的背景は理解できないはずだ。むしろ目の前で起こっている事象に対して、辛い、怖い、面白い、そういった錯綜した感情の方が先に立つはずだ。'50年6月- '53年7月, この3年間の間に彼の住む小さな農村が、北朝鮮軍、韓国軍、中共軍、国連軍(米軍)と目まぐるしく変わる姿を少年の目で書いている。この中で、朝鮮、韓国の時代は、同じ民族と言う事もあり38度線設定後のように厳格な統制が為されていなかった為、村内の暮らしも多少の問題が起きたにせよ、普通の暮らしに近いものだった。中共兵については、僕も驚いたのだが、田舎の農村にとってみれば、見た事のない兵隊たちの出現に戦々恐々としているのだが案に相違して、彼らの統制がとれており、恐れていた婦女子に対する暴行がなかったという事だ。中共軍の三つの軍律の中の一つに「民衆からは糸一本針一本取ってはならない」八項注意のなかに「婦人をからかわない」と言う規律があったからだと言っている。このことに関して、この時点では、中共という国も建国して日が浅いため、まだ、軍の規律も保たれていたものと推察できる。次の米軍だが、村民たちは、最初これで平和はやってくると彼らを救世主の様に迎える。子供たちは、米兵に群がり投げられた、ガムや、チョコレートに飛びつく。終戦後の日本と全く同じ様相を呈している。しかしながら疑心暗鬼の気持ちも捨て切れていないため、警戒心から監視は続けられるが暴行は起こってしまう。どういう経緯で売春婦が村にやって来たのか著者は書いていないが、やはり軍隊あるところに兵たちの性処理施設は必要だという事がわかる。彼女たちにより、村民婦女子への暴行もなくなり、間接的には村を潤す結果を生む。この事に就いては、儒教という教えからの倫理観というものは、生存するための選択肢からは除外されるという事だ。日本では連合国占領下の日本政府に依って特殊慰安施設協会という名称の慰安所が一般婦女子の性の防波堤として日本各地に作られた。慰安婦募集には戦時中の仲介業者を通さず、新聞広告に依り行われた。これは、韓国はこの時点では、混乱の最中と言う事で、国家機能がまだ働いていなかった事に依るのかもしれない。
人間は、戦争等、極限状態に置かれた時の優先順位に就いて、倫理より生命の生存の方が最上位に位置する。誰もが、頭の中では、理解することだが、実際に経験する人は少ない。それ故、実体験された筆者の「売春は必要悪だ」と言う発言は説得力を持つ。このフレーズは誰でもが思っていることだが、世界的にと言ってもいい位に、従軍慰安婦問題に就いて韓国が活動している効果で、現在の日本では、公に発言はできないようになってしまった。いい例が、'13年に橋本大阪市長が、「軍の規律を維持するには当時は必要だった」 「銃弾が雨・嵐のごとく飛び交う中で、命を懸けて走っていく時に、猛者集団、精神的に高ぶっている集団をどこかで休息させてあげようと思ったら、慰安婦制度が必要なのは誰だって分かる」と発言をして内外のバッシングを浴びた事は、記憶に新しいところだ。しかし、筆者の崔教授が、韓国人であるからして、韓国は除いたにしても、こういう発言を公の、しかも活字として著しても日本人が書くよりバッシングを受けることは少ない。韓国での売春問題について現在でも「売春天国」だと言われる事に就いて、「儒教倫理」を上げておられる。この考え方がより強いがゆえに売春婦をもって、一般婦女子の性の防波堤としての、彼女たちを許容するという風潮が生まれたものと思われる。勿論、公言はしないものの、経済的効果もあるという事は言うまでもないことだ。前述したが、崔教授がこういう発言をする意味は、韓国人であり知識人だという事で非常に深く重いものがある。慰安婦はいたが、従軍慰安婦という呼称はなかったという理解から、「いわゆる従軍慰安婦問題」と言っている事に日本人である僕は、教授に感謝の念を覚える。 著者である崔教授は、韓国を隅々まで調査した自分だけでなく、多くの学者からも、いわゆる従軍慰安婦の話を聞いた事がないと言っている。しかし乍ら日本からの発信(吉田清治なる男の著作、それを取り上げて意図的 ? 誤報を発信し続けた朝日新聞) により、 韓国内 では、人権、政治問題と化した。これから述べる部分については、この本には書いてない事ではあるが、関係性があると思うので敢えて書かせていただくと、当時、朝日の ソウル特派員の植村某が、金学順と言う女性に対してのインタビュウ記事の中で誤った書き方をし、また、人権活動弁護士である ? 福島瑞穂氏が、NHKにこの問題を持ち込んだり、彼女(金学順)が日本国に対しての訴訟を起こした時の弁護士の一人となっている事などが、韓国内での問題化に拍車をかけた事は、紛れもない事実であろう。しかし、この問題が、長い間表面化してこなかったのは、何と言っても、韓国における儒教倫理が、ハードルとなっている事と思われる。そして、これを契機に女性人権団体が「慰安婦たちの恥は韓国人全体の恥である」というスローガンを掲げ問題提起した。しかし韓国メディアは、事の本質よりも反日感情を煽り、政治問題化させた。ここで筆者は、大事な事を言っている。それは、日本兵相手の慰安婦と米兵相手の慰安婦の違いだ。日本に対する慰安婦は、征服者に対するもの、米国に対するものは、日本からの解放者、朝鮮戦争時の友軍、これが、決定的に同じ慰安婦問題でも違うところだ。われわれ日本人もこの事(征服者であった事)を念頭に置いて考えなければいけないし、韓国サイドもやたら、民族主義的になり、反日感情を煽るのではなく、人権という本質で、ものを言うべきであろう。ここで、もうひとつ言っておきたいのは、韓国が外国でのロビ―活動で言っているSex slave と言う表現だ。これを日本に対して言うと、じゃあ、現在も行われている米兵相手の売春婦は、どうなんだという話になってくる。この表現だけは、飲めるものではない。これは、私観だが、性暴力は、ある特定的な環境下においては、(例えば戦争)普遍的ともいえる事象と考えても差し支えないだろう。それ故、どの国にあっても、特定の国に対してだけに限定してはいけないという事だ。もう一つ、筆者は、こうも言っている。戦時中に於いては民族的感情から、婦女子に対しての性暴行に関して、相手の名誉、プライドを辱めるという事も行われた。ここで筆者が一番言わんとするところは、日韓の間に於いては、慰安婦と言う言葉だけで、米兵相手と、日本兵相手を一括りにしてはいけないという事であろうと思われる。この問題について、前述したが、日本人が書けば、どうしても判官びいきになることは避けられない。が、しかし、韓国人が書くことに意義がある。それも、どちらのサイドに立つことなくだ。
 ここまででこの本のタイトルにある部分に関しての、ぼくの私観を交えた感想です。やはり日本人も、相手方を誹謗中傷したようなものばかりに目を奪われず、是々非々(なかなかむつかしい事だが)で著されたものにも目を通すべきだと思います。尚、筆者は、シャ-マニズムに関する研究著書も多数著しておられることも付け加えておく。*写真は白嶋氏のFBカーバー写真

デンバー大学

2015年04月07日 05時18分10秒 | 旅行
定期受診は緊張の時間である。体調はすこぶる良好。しかし、命を扱ってくれる大先生の前に座る緊張感がある。昨日もルティーンのチェック以外は医学講座(?)のような時間であった。5月中旬、アメリカ・デンバー大学で開かれる学会で発表するために休診となる。その大学はロッキー山脈の麓にあり高山病になりやすい地域であるが、結核菌抑制には効果があり、結核の休養地として有名、その大学は結核の研究や治療として有名である。先生はその大学に留学したので久しぶりに母校への出張ともなり、楽しく話が流れた。私は肺結核で苦労した痕跡をもっていまだに注意しなければならないので注意深く傾聴した。今度先生はご自分の患者さんから21事例をもって分析した論文を発表するという。
 私は肺活量が少なく、高山病には弱い。チベットへ調査に行った時酸素が足りず苦しかったことを思い出した。しかし医師の話を聞くと高山地域は病と治療が共存するとのことである。つまり韓国語の俗談に「病気と薬をくれる」(悪賢い人を指す)。高山病と休養所が共存している話はなかったがすばらしい教訓のように聞こえた。ものごとには善、悪があり、否、ものはものであり、人の使い方によって良し悪しが決まるのではないかといまさらながら考えた。
 

日の丸

2015年04月06日 04時45分15秒 | 旅行
昨日入学式に参列した。学長など登下壇するたびに日の丸に目礼をした。韓国民団などの行事では太極旗に同様なことをする。どの国でも行う礼式である。しかしそれについて「帝国日本」の歴史への屈従と思い反対する人、日の丸を掲げないところもある。歴史的には内村鑑三のように宗教的偶像崇拝と反対した例もある。韓国では日本の日の丸に敬礼することはあり得ない。しかし韓国からの留学生が多く参加したので気になった。また功山寺では僧の有福氏の説法があり、留学生たちは座禅をした。クリスチャンの学生もいるはずである。日の丸や座禅なども儀式や文化体験と思っていてほしい。式に参列した韓国人は日本の厳粛性を感じたというように文化体験と思うべきである。
 櫛田学長は「地域に生き、グローバルに考える」と前提し、広い世界観に立って物事を一面からだけ眺めるのでなく、多様な視点から分析し考えること。問題が潜んでいるので、このことを考える習慣を身につけること。そして、人として正しい考え方の基準を獲得するように心がけたいと思う。そのために、今の事柄だけでなく歴史に学び、文化遺産からも、時間をかけて多くを学ばなければならないと祝辞を述べた。

雷が「神なり」に

2015年04月05日 05時36分04秒 | 旅行
 数時間前深夜1時半頃この地域に5,6回連続で雷があった。雷が「神なり」に感じた。愛犬ミミが私の寝室をノックするよう吠えながらドアを叩くように引っかいている。ドアを開けるとミミが雷が怖くて震えていた。私は抱きあげて安心させた。朝まで私のベッドで休んだ。ミミは家内に対して全面的に甘えているが私には距離感を持っている。しかし怖いことがある時は私に来る。家内には愛、私には頼りがいや信頼関係、いわば「信」があるようである。聖書には信、望、愛が強調されるが「信」は信仰の始まりである。
 今日は復活祭・イースターデーである。入学式で今日のイースターに参加できない。聖書に書かれたような雷、神なりが連想された。「そこに立っていた群衆がこれを聞いて、雷がなったのだと言い、ほかの人たちは、御使が彼に話しかけたのだと言った」(ヨハネ12:28-29)。古い、昔は雷は天罰だといわれたが科学の知識によって自然現象に過ぎないこととなっている。ミミはそれが怖い。なぜ私を頼りにするのだろうか。私には雷はどうすることもできない。ただ生活の中で私を信頼しているのではないかと嬉しくなった。私自身は頼りない人間だと思っているが私が信頼できる人間だという証にもなったようでミミに感謝する。

ストレンジャー

2015年04月04日 05時08分49秒 | 旅行
 韓国のシャーマニズム研究者である日本人浮葉正親教授から『異人論とは何か』(山泰幸・小松和彦編)が届いた。異人論は日本民俗学では古い説の一つであり、小松和彦教授によって深められてきた。伝統的な村、村落社会に現れるストレンジャーの存在である。同質社会で異人は妖怪であり、怖い破壊者のような存在であった。しかし都市化や国際化によってストレンジャーによって村という共同体が壊れていく。今ではストレンジャーの中から村人を探すくらい変わっている。私はなわばりの強い日本にストレンジャーのように住み始め30年弱である。他の異質な多民族国に比べて日本はまだ村落社会のように感ずる。私も日本に同質化、同化されてストレンジャーと向き合っている。本書は異なった分野の研究者の研究成果を集めたものである。浮葉氏の論文には私の青春時代の論文なども引用されていて懐かしく、嬉しい。
 昨日西日本新聞の平原奈央子記者が研究室に訪ねてこられた。彼女は最近韓国全羅南道の有名な作家の紹介を連載しており、その方と私の関係、人脈に関する質問があった。私の研究は文学から始まったことを話すと驚く表情をした。彼女は今話題になっている植民地研究者としか知らなかったようである。上述の浮葉氏が書いたようなシャーマニズムの話になった。しかし私から彼女はなぜ韓国に関心を持って作家たちを取材しているか逆質問をした。九大の朝鮮史出の方々をはじめ、多くの人脈の話、取材ではない歓談であった。楽しい時間を共有しながら私はアジア向けの福岡の繁栄が羨ましく、下関の衰退は反省すべきと思った。

「老益壮」

2015年04月03日 05時18分56秒 | 旅行
大学の経営者の一人の彼は大きい声で話す。その声は別に私向けだけの声ではない。しかし私には聞き取りやすい。その話の内容にも共感するところが多い。その一つが新聞配達の履歴である。彼も貧乏な時期に新聞配達をしたという。彼の大きい声に私の大きい声が合わさって騒音化してしまった。私は彼の時間厳粛、勤勉さを新聞配達とつなげてみていた。その繋がりが当たっているかどうかはわからない。しかし、彼の成長に関与したのは事実であろう。
 私は1950年代東亜日報を300部配達した。チョークで記しをつけながら道を覚えるだけで1週間以上かかり大変なことであった。それは高校1年生頃であった。大学を卒業して民俗学の研究者としてその新聞社経営の東亜放送にしばしば出演した。しかし1970年代民主化の弾圧によってその放送局は閉鎖されてしまった。
 昨日新入生の前で学部長のスピーチで大学生活は「修行」と思ってくださいといわれるのを聞いた。留学生が多くその意味がわかっているのだろうかと思い、ある留学生に理解しているかどうか聞いてみた。わかっていた。留学は彼らの人生に大きく影響するだろう。留学生の数だけではなく、質も高くなった。二人の中国人も留学、博士課程に入学となった。私が中心としている読書会はますます活発になるだろう。それこそ「老益壮」(老いてますます盛さかんなこと)と自賛したい。

花力

2015年04月02日 05時41分17秒 | 旅行
昨日全国的に新任、昇格などの任命式が行われた。長い間真面目に熱心に勤め、研究業績を大きく上げた人、昔私が博士号の指導教官をした現大学教員が昨日准教授に昇格した。中国の大学の教員の方が東亜大学の博士課程に留学することになった。意外にビザ審査で時間がかかり心配だったが許可が下りて、すぐ来ることができた。私は昨日の交付式で毎年更新の東亜大学東アジア文化研究所所長の辞令をいただいた。昨日の私の研究室には学長や新任の方などをはじめ十数人の方が出入りしながら談話が遅くまで続いた。新年度の出発は期待と希望である。
 帰宅の道では車窓から夜桜見物の気分だった。花見の話は嬉しい。桜の花力は凄い。桜の先に梅、木蓮などが咲き、同時にレンギョウやツツジなどが咲いていても視線を引くのは桜である。桜が咲いたら視線は一斉に桜に奪われて花見騒ぎになる。その花力は不思議である。赤にバラをもってのプロポーズから挙国的な花見にいたるまで花は実に力を持っている。大げさにいうならばその力は愛であろう。