フェイスブックの公開コメント欄に投稿された島根大学名誉教授の酒井董美氏の書評を紹介します。
著者は昭和15年(1940年)生まれの韓国人研究者であり、わが国の大学で教鞭を取っている現役の民俗学者である。昭和25年(1950)6月に起きた朝鮮戦争当時10歳だった著者が、住んでいた38度線に近い韓国の農村で体験した国連軍(米兵)による婦女暴行の事実や、韓国軍も自国やベトナムで起こした同様の事実を述べ、慰安婦が来村したとたん、米兵によるそのような被害がなくなったことを挙げながら、儒教国家である韓国が、村の女性の安全を守るため、慰安婦の来村を歓迎している矛盾を指摘し、同時に米軍慰安婦問題には寛容でありながら、韓国を侵略した日本軍のそれを為政者が政治的に利用して問題化する矛盾を、歴史的な経緯を押さえながら主張している。このことは自身の生命の存続も危ぶまれる、戦争という非常事態に追い込まれた兵士たちの、せっぱ詰まった感情が、一時の快楽に己を投じさせ、このような惨劇を生むものであろうと論じている。
本書で明らかにされている重要な事実は、ビルマ(現・ミャンマー)で書かれた「日本軍慰安所管理人の日記」文書の紹介である。これは個人の日記であり、世間で喧伝されているような日本軍が慰安婦を直接徴発したのではなく、あくまでも商業経営として存在していたことが自然に理解できる。
本書の刊行は、韓国政府側から見れば、必死になって伏せておくべき内容であろう。しかし、一研究者としての著者の良心は、決して時流に流されることなく、事実を事実として資料を詳細に検討し、分析を加えている。同じ資料でも韓国政府寄りで正反対の解釈を示している韓国内大学の研究者とは、大きく異なっているのである。著者は自国内から非難されることを覚悟の上で、自身の体験を通して、韓国内に起きた米兵や自国兵士たちの婦女暴行の事実を披露し、原因を検証しているのである。本著は今後の日韓友好に大いに資するものであることを私は断言したい。
著者は昭和15年(1940年)生まれの韓国人研究者であり、わが国の大学で教鞭を取っている現役の民俗学者である。昭和25年(1950)6月に起きた朝鮮戦争当時10歳だった著者が、住んでいた38度線に近い韓国の農村で体験した国連軍(米兵)による婦女暴行の事実や、韓国軍も自国やベトナムで起こした同様の事実を述べ、慰安婦が来村したとたん、米兵によるそのような被害がなくなったことを挙げながら、儒教国家である韓国が、村の女性の安全を守るため、慰安婦の来村を歓迎している矛盾を指摘し、同時に米軍慰安婦問題には寛容でありながら、韓国を侵略した日本軍のそれを為政者が政治的に利用して問題化する矛盾を、歴史的な経緯を押さえながら主張している。このことは自身の生命の存続も危ぶまれる、戦争という非常事態に追い込まれた兵士たちの、せっぱ詰まった感情が、一時の快楽に己を投じさせ、このような惨劇を生むものであろうと論じている。
本書で明らかにされている重要な事実は、ビルマ(現・ミャンマー)で書かれた「日本軍慰安所管理人の日記」文書の紹介である。これは個人の日記であり、世間で喧伝されているような日本軍が慰安婦を直接徴発したのではなく、あくまでも商業経営として存在していたことが自然に理解できる。
本書の刊行は、韓国政府側から見れば、必死になって伏せておくべき内容であろう。しかし、一研究者としての著者の良心は、決して時流に流されることなく、事実を事実として資料を詳細に検討し、分析を加えている。同じ資料でも韓国政府寄りで正反対の解釈を示している韓国内大学の研究者とは、大きく異なっているのである。著者は自国内から非難されることを覚悟の上で、自身の体験を通して、韓国内に起きた米兵や自国兵士たちの婦女暴行の事実を披露し、原因を検証しているのである。本著は今後の日韓友好に大いに資するものであることを私は断言したい。