崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

「太極旗」「日の丸」

2015年04月12日 04時43分28秒 | 旅行
「東洋経済日報」<国交正常化50周年特集>寄稿文(2015年、4月、10日)

 新旧年度の変わり目の季節。卒業式や入社式、入学式、各種式が全国的に多く行われた。私も大学の各種の式に参加した。卒業式と入学式に参列した時、気になったことがある。学長などが登下壇するたびに日の丸に目礼をすることである。韓国民団などの行事では太極旗に同様なことをする。ある時は万歳三唱などを日韓においてそれぞれの場で行われる。日本では日の丸を掲げて君が代斉唱をし、韓国では太極旗を掲げ愛国歌斉唱をする。このようなことは日韓に限らずどの国でも行う一般的な礼式である。日本で式に参列した韓国人が日本の厳粛性を感じたというように文化体験と思うべきである。
しかし日本ではそれについて「帝国日本」の歴史を思い起こし、それへの屈従と思い反対する人や日の丸を掲げないところもある。歴史的には内村鑑三のように宗教的偶像崇拝と反対した不敬事件の例もある。つまり日の丸に敬礼をせずに降壇したことが同僚・生徒などによって非難され社会問題化されたのである。その近い歴史はまだ残っている。
外交上国家元首が他国の墓地などを訪問して礼をするのは一般的である。しかし一般的に韓国人が日の丸に敬礼することはあり得ない。逆でも同様であるが。韓国人が抵抗感を持っているのは礼儀上のことではなく、歴史の脈絡からのことである。いわば歴史認識が問題である。
韓国からの留学生が多く参加している入学式に日の丸がかけられている。私は内心懸念した。彼らが抵抗感をもたないだろうか。また新入生は下関の名所の功山寺で僧の有福氏による説法があり、目覚め鞭を受ける仏教儀礼に参加、留学生たちも座禅をした。クリスチャンの学生もいるはずである。宗教儀礼を文化体験としていた。日の丸や座禅、儀式などを日本文化として体験した彼らにとって異文化体験である。私が留学した時に日本文化に馴染めず、抵抗感を持ったことを思い、留学生たちが心配になった。日本文化を異文化体験として受け入れることを願う。それに抵抗を持つ人は他の異文化にも適応することが難しい。いま私は寺院などで目礼くらいはしている。
 私が参列して懸念している時それを配慮したかのように櫛田学長の祝辞が語られた。彼は「地域に生き、グローバルに考える」と前提にし、広い世界観に立って物事を一面からだけ眺めるのでなく、多様な視点から分析し考えること。物事には問題が潜んでいるので、このことを深く考える習慣を身につける。そして、人として正しい考え方の基準を獲得するに心がけたいと思う。そのために、今の事柄だけでなく歴史に学び、文化遺産からも、時間をかけて多くを学ばなければならないという祝辞であった。
背負った幼児から学ぶということばがある。老サルが子供サルから学ぶという実験もある。今良くない日韓関係の和解の方法を学生たちからリベラルを学べと言いたい。