崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

高齢者が老後のために貯蓄?

2013年02月21日 05時49分25秒 | エッセイ
 麻生氏は時々冗談っぽい失言やウィットのある話をして面白い。中には考えるべき話がある。18日参院予算委員会で「高齢者が老後のために貯蓄?」という言葉もそれである。「イタリア人は死ぬときに貯金がなくなってよかったという考え方だ」と述べながら失言や問題にならないように予め断って「わたし(72歳)がこう言うと、多くの人々は恐らくそれをイタリアに対する差別だと言いたがるだろう」とし、自分の考え方として話を続けた。笑いを誘うこと以上に重要な死生観を語っているのでここで考えてみたい。
 この話の前提は高齢者は「老後の不安」があるということであろう。つまり、老人が家族や社会福祉に頼る信頼性が薄いことを意味する。すなわち「お金」しか頼りにならないという生き方である。麻生氏はいう。「将来が不安だから(お金を)使わないのか」と述べた。また「死ぬときに貯金が残っていることがハッピーという考え方」の日本人の国民性にまで触れた。死の時点で貯金がゼロということは、老人に消費してほしいというような考え方であろう。歳をとると行動半径も小さくなり消費も少なくなるのが常である。それより根本的な問題として、私は人の生き方に提言したい。それは消費者としてではなく、特に老人も創造や生産に働くような社会を作る政策が必要であるということである。命ある限りお金を使い尽くしてゼロ化、「残さない」ことは危険な発想である。それは個人は個人で終わることを意味するからである。つまり社会や文化が永続する発想ではない。
 「残す」考え方は社会を永続させる基礎的な考え方である。私の話は消費が生産につながるとかの小さい話ではない。死ぬまで消極的な享楽的な消費者ではなく、創造的なことを楽しみながら働いて社会に少しでも残したい老人になってほしいと思っている。政治家はその政策を考えてほしい。