崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

「出版社」の存在

2013年02月25日 04時38分21秒 | エッセイ
私より早く日本に移り住んでいる韓国人の牧師夫婦の話である。30年弱日本に住んでいながら今だにメールやホームページ管理などが難しく日本文でやり取りをすることが苦手であり、ほぼしないということを聞いた。その夫婦によれば日本語を作成しても文章を日本人に見てもらわなければ自信がなくて送れない、躊躇するということであり、日本語で文章を書くことが少ないと言いながら、私が日本語で毎日ブログなどを更新し、書くことに感心したというのである。それを聞いて、私は日本人の家内が文をチェックしてくれる恵まれた環境に改めて感謝の気持ちになった。
 新しく出版する『雀様が語る日本』の原稿が編集者によって、表現や内容が細かくチェックされて送られてきた。素晴らしい出版社と編集者に何と感謝すべきであろう。人によっては自分の文には一画も直されたくないと固執する人がいるらしい。それは口語を文字化、出版化の意味を否定することであろう。校正の過程は大きい意味があるからであろう。送られてきた一冊の原稿を編集者の指摘に従い、家内と一生懸命に対応してチェックをして、やっと終えた。これからは予定より大部遅れている他の原稿を書き続けようとする。本を書くということは簡単ではない。先行研究を踏まえ、このように人に多大な協力得て進むのである。最近はこのようなプロセスを経ず、自作、自費出版物などが溢れているが、やはり「出版社」の存在を改めて認識しなければならないと思うところである。明日日韓の出版社の二人の社長が私の研究室で新しい企画会議を予定している。

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