崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

平井愛山 「話すのが一番良い学習法」

2013年02月24日 05時11分39秒 | エッセイ
昨日は千葉県立東金病院院長の平井愛山先生と一緒に一日過ごした。彼は医学関係の会議のために全国的に出張し、時々フェ‐ス・ブックにも報告を書かれておられる。それによると彼は昨日佐賀から下関へ、田中絹代メモリアルの理事長として来年度の映画祭や映画塾に関する会議のために来られた。私の研究室で学校側から櫛田学長、金田理事、記念館側から平井理事長、河波事務局長、権藤理事などが参加して、主に映画塾に関して東亜大学東アジア文化研究所との協力関係について話し合った。映画塾では映画観賞会ではなく、映画を持って語りあい論ずること、全国的にも特色のある塾にしたいということが議論された。会議は平井理事長のイントロとまとめによって終わった。彼は司会の名人だと感じた。
 二人で昼食をとりながら趣味なども話題になった。彼は無趣味、働くことが全てある。「話すのが一番良い学習法」だという。その話を聞いていると彼は人の話や否定的な話は一切しない。肯定的な話、それも積極的に展望し、推し進める迫力がある。中には私の持病、「自宅で死にたい」という私の希望に対して「在宅主治医」を決めておくと可能だという。いまのままでは自宅で自然死をしても家族が警察の調査を受けるようなことを避けるためである。そこから私の話は医者に対して治療や命の話ではなく、死ぬ話が中心になった。私は、韓国では病院が葬式まで経営することを話をした。彼は驚きながらすぐ見に行きたいと言った。しかしそれを否定するとも肯定するともいわない。私がヒポクラテスの言葉を引用しながら医師や病院の使命は命を生かすことであるとか、否定的に解釈しても彼は韓国の事情を批判しようともしない。さらに私は病院が死後まで関わること、つまり火葬場、葬儀場を兼ねても無理がないだろうかかと独り言のように言った。
 話はまた長く続く。彼はコンピューターを出して打っている。会議の議事録のまとめであろう。それでも対話は中断せず続いて、土曜日の研究室も日が暮れて、別れたのである。

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3 コメント

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家で死にたい (倉光誠一)
2013-02-24 23:06:20
 80歳を過ぎた私は同級生にあうと、誰が亡くなったとかいう話がよく出るようになった。先生の文章を読んでいて『家で死にたい』という本を思い出しました。この本を送ってくれた著者は「川越 厚」という東京で末期がん患者の在宅ホスピスケアー専門のバリアンという医療法人を作っているクリスチャンのお医者さんで自らがガンで死線をさまよった人です。
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Unknown (崔吉城)
2013-02-25 08:48:22
 広島の友人が自宅の椅子に座ったまま大往生したが、奥さんが警察に調査を受けた電話を聞いたことが印象に残っています。

『家で死にたい――家族と看とったガン患者の記録』
川越 厚 19920330 保健同人社,267p.の紹介、有難うございます。
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家で死にたい (倉光誠一)
2013-02-28 21:30:49
この、川越厚 君 は実は高校3年生の時に私が担任でした。その他にもいい本を出していますし、いい仕事をしています。
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