崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

ジャスミン

2013年02月22日 05時52分41秒 | エッセイ
 蘭やハイビスカスなどの枝を切って捨てず水に入れておいたら根が付き、鉢を増やしたものなどで窓際の花を置くスペースがなくなった。そうなのにまた黄色のつぼみのジャスミンの鉢物を買ってきた。日光が好きなジャスミンを買ってしまって困っている。真冬でもサンパチエンス、黄色バラ、ブーゲンビリアの花を楽しんで、ジャスミンの花に期待するのは芳香である。ジャスミンといえばジャスミン茶や香水を思うほどである。香が強いと思って買ってきたが、このジャスミンは鑑賞用であり、香は強くないということを後から知った。これから芳香の春ランが咲くころになって大きくつぼんでいる。香ないジャスミンとは何か。私にとってはそれが正解であるかもしれない。
 以前にも書いたように今私の臭覚は鈍くなって残念ながら香を感じることが出来ない。私は祖先祭祀や宗教儀礼などで線香を燃やすことについて神は香で交流する、その象徴的なもののように解釈したことがあり、気になっている。老人は嫌な匂いに敏感であると思い、高齢でも、死んでも匂いは感ずると考え、生じた文化が線香、焼紙の儀礼ではないかと書いたことがある。しかし私が早くも臭覚が鈍くなったことで密かに困っている。何が原因なのか、何かが障害になっていると思われる。
 香は老人や死者との交流だけを指すものではない。美女(花)が香水で魅力を発散する。そこに蝶が飛んでくる。善徳女王は蝶がいない花の絵を見て香がないと言ったという説話がある。私も窓際の花をただ見ているだけである。