崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

麦わら帽子のフィルムリボン

2013年02月01日 05時33分48秒 | エッセイ
今執筆中の文の中で1936年の映像から麦わら帽子に映画のフィルムがリボンとして使われていることを見つけて数年になる。それはフィルムを保存せず放棄し、リボンとして活用したことの証明になる良い例である。私はそれを著書『映像が語る植民地朝鮮』で写真と共に触れたがさらに確認をしようとして他に2例を見つけた。終戦直前の映像の「国旗の下で死ぬ」と「海の生命線」から類例を見つけた。それが16ミリフィルムであることを昨日KRYテレビカメラマンだった権藤博志氏と同僚の山本達夫氏の協力を得て再演して測って16ミリフィルムであることを確認することができた。つまり写真のフィルムと帽子のサイズを図って実物の大きさにして測って16ミリに近いことが分かったのである。権藤氏によれば映画は35ミリを使っていて、ニュース映画などは持ち歩きやすい16ミリであった可能性を指摘した。今度はフィルム処理に関する情報を収集したい。一説によればフィルムはプラスチック素材のベース面にゼラチン質の乳剤をコーティングした物質で、「ナイトレート」という可燃性素材が使用されていて、爆発性の危険性があったという。その辺を含め情報を読者からもいただきたい。
 今はファッションの帽子であるが、戦前戦後当時は農民の帽子であった。そこに最先端のフィルムリボンを巻いて洒落た(?)飾りにしていたのである。戦後、私は子供のころそのフィルムを観察したことがあり、映像からそのフィルムを確認するに至ったのである。私の研究は小学生低学年から始まったことになり、ピアノやバイオリンを3歳から始めた天才には及ばないが早く始まったといえる(ハハハ)。