崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

本屋でコーヒーが飲める

2013年04月29日 04時49分56秒 | エッセイ
 デパートの中にある日本料理の食堂で夕食を食べた。終わりまで私たち4人だけであった。貸切のような気分でもあり、店の経営が問題であると余計な心配までしてしまった。やや高い値段だがメニューは変わりなく親切さなどの特徴もなく、ただ良い場所の便宜さを狙った安易な商売の末路であろうと感じた。ある友人の在日韓国系の食堂で昼食をとった。時間が昼の時間であっても陰鬱なコーナーに座り、全体がガラガラであった。私が注文した一品料理はお盆に載せることもなく、ぽんと一器置いて行っただけであった。注文したものを持って来たのだからそれでいいのだろうが、外食の別味の感が全くなく、客が来ないことに納得した。先日廃れていく街の風景に触れたが、そこから学ぶところが多い。
 本屋の改革が起きたとニュースになっている。本を読みながら、ゆっくりコーヒータイムを楽めるということである。本屋の中でコーヒーが飲めるコーナーを設けたことである。韓国のソウルの大型書店の教保書店の横には食堂とコーヒーショップなどがあって便利だと思った。今考えなおすと経営のアイディアであったと思う。しかし書店の中でコーヒーが飲めるコーナーではない。いま日本の書店が構造を変えるということを歓迎する。本を売るだけではなく、図書館的なサービスの拡大なども考えてほしい。それが長い目で見ると書店の経営にプラスになるのではないかと思う。
 いま日本では変えるべき点はまだまだ多い。インタネット上では横書きが一般的であるが、出版物は縦書きが多い。それは漢文からの伝統として定着したものである。韓国も一昔前まで同様であったがほぼ横書きに変えた。それはコンピューターと世界化の影響から促進されたものである。アラビア数字や横文字の引用、編集の便利な機械的な点というメリットがある。日本のテレビではかなり横書きが使われているか混用されている。新聞はもっと積極的に改革を試みるのはどうであろうか。テレビと違って新聞は休刊日の伝統を守っている。新聞はなくても良いことの体験であろうか、マスコミとしては良い伝統ではない。伝統を見直すことが改革の始まりである。