崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

死をそばにして生きる

2013年04月18日 04時32分18秒 | エッセイ
 月一回の定期診療に行った。サチュレーションが93%でようやく90を越えて安心した。私は若い時肺結核を罹った部位が損傷をうけ気管支拡張症が出現することがあるという。それは気管支が非可逆的な拡張をきたした病態で気管支が拡張すると、気管支の浄化作用が低下し、気管支炎や肺炎に罹りやすくなるという。拡張した気管支には、血痰や喀血も出現する。この持病を予防するために換気、ヘモグロビン、心臓の調子をチェックするといい、池田先生の大気汚染に関する説明が行われた。PM2.5は中国からだけではないと言う。日本でも車の排気ガスからも出るのでそれが中国からの大気汚染と合わさって先日標準の30倍にもなったことがあり、場合によってはマスクをしなければならないと言う。
 大気汚染とはいっても健康な人には影響が少ないが、患者や妊娠した人、幼児に影響しやすいと言う。中国では流産が多くなるのではないかなど先生の話は環境論になり、グローバルなミニ講演のように感じた。今の内は中国の大気汚染の話や温暖化の話は放送や放映から少なくなっているが、池田先生は呼吸器内科の専門医として空気清浄、大気汚染に注意していることが分かった。春雨が降っており、多少空気が良くなったのかと思ったらよけ悪いと言われて、日本で大氣汚染を心配するのが贅沢のように感じた。昨日読書会の後に来訪した客とは日本の仏教の話をし、日本人にとって仏教とは自分の死んだ後の処理を頼むように生きるので人生観には関係ないという話になった。しかし死をそばにして生きるような私にとっては人生観にも影響してほしいといった。深刻な話でも聞き手は聞き流したようである。健康な人は死はあまり気に止めないようである。