崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

男の涙

2011年08月19日 05時33分48秒 | エッセイ

 海江田大臣が国会質疑で感情が高ぶって涙を見せながら泣いたことが時々話題になっている。日本では映画でも男優はなかなか泣かない文化がある。それについては拙著『哭きの文化人類学』で分析したことがある。一般的には男性より女性が頻繁に泣く。しかし泣くといって方式や程度がある。多くの男性も文章の中では泣いたと書いている。それが本当かは別として、泣いたという文はあってもそれも私的なものであり、公なものではない。今度は珍しく公的場で男性が泣いたのでその反響が気になったのである。ある女性は「心がとても温かい方」という。しかし政治家が感情をコントロールができなくては困るという意見も多い。男女とも悲しさ、悔しさなどの感情は根本的に同様であるが、それを抑制するなど表現の差が異なる。
 笑いと泣くことは爆発する本質がある。それは生理的な現象でもある。しかしそれをコントロールするすることなどは文化様式である。女性が頻繁に泣くことは自然なものなのか、それに近い文化的な表現意識であろう。泣くことも社会的性の表現である。私は友人や愛犬が亡くなった時、家内のいるところで大声で泣いた事がある。海江田氏の泣く場面によって日本にもソフトな男性がいるという契機になるかもしれない。未だに男性は女性の前で、無口で感情を表に出さないのが美徳とされている部分が残っている日本人も、感情が表現できる「自然な人」へ変身する象徴的なできごとかもしれない。