崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

休み、遊び

2011年08月10日 05時11分29秒 | エッセイ
夏休みのキャンパスで空虚を感ずる。学生や教職員たちはどこで何をしているのだろうか。いわばバカンスとして避暑や遊びにでかけるのだろうか。韓国語では休みを「遊びノルダ、ノリ」という。日本では「お休み」は「眠る」ことも意味する。休みとはどちらも正規的な仕事から解放されることである。しかしバカンスやノリは仕事から解放された上に楽しい遊びをするという積極的な意味がある。遊び研究の古典ともいわれるホイジンガの『ホモ・ルーデンス』によれば人間は遊ぶ動物と見ている。遊びは動物にも見られる。
 仕事の疲れから休んで、元気をとり戻す過程、そして発動するというようなリズムになっている。つまり人には仕事、休み、発動のリズムが内在している。人によっては仕事と休みの繰り返し、人生そのものが仕事、そして死んで休むことになる。仕事、休み、発動の創造的なリズムを持っているのは大事である。聖書には安息日に仕事を固く禁じている。しかし日本では多くの日曜日を仕事や行事で埋めている。創造力が期待しにくくなっている。