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ドイツ語の散文家たち:Marx「経済学哲学草稿」(8)

■旧暦8月10日、月曜日、、西鶴忌

(写真)秋明菊

6月の来日に合わせて出版した、ヴァレリー・アファナシエフの詩集『乾いた沈黙』が好調である。マエストロは、世界的なピアニストであると同時に、詩人、小説家、劇作家、指揮者、パフォーマーでもある。この詩集は、よくあるような対訳形式を排し、独立した英詩と独立した訳詩を挟み合わせた形で編集。マエストロの息遣い直に触れるだけでなく、日本語の詩としての調べもトータルで楽しめる。マエストロは、10月1日に再来日してリストを弾くので、そのときも、コンサート会場(トッパンホール)で販売される。もともと部数はそれほどないので、売り切れないうちにアマゾンへ。今回は、準備の都合で実現しなかったが、次回は、6月のときと同じように、日英両言語による朗読会を開催するつもりでいる。

10月に行うレクチャーの原稿ができた。1月のレクチャーのときに頑張ったので、今回は、多少手直ししただけで、大枠は変えていない。transhumanismは、テキストが未着なので、少ししか触れられなかったが、アウトラインと主要な問題点を指摘した。これで、後は、新着のテキストを待ちながら、マエストロの小説に専念できる。九月はダレてしまったので、挽回したいものである。

一茶・ちひろのコラボレーションに4句

芒原こゑする方に人はゐず


秋風にうしろ吹かれて後生かな


銀芒けふはきのふのわれならず


安曇野や月より風の吹いてきし
冬月



デイヴィッド・G・ラヌーによる一茶の英訳

at my humble hut
so many in the mist!
Sumida River cranes

shiba no to ya kasumu tasoku no sumida-zuru

柴の戸やかすむたそくの隅田鶴

by Issa, 1810

Shinji Ogawa explains that shiba no to (brushwood door) is an idiom for a "hut" or "my humble house." It does not mean that Issa's door is literally made of brushwood.



労働者は富を生産すればするほど、その生産の力と範囲が増すほど、それだけいっそう貧しくなる。労働者は商品をつくればつくるほど、みずからはそれだけいっそう安価な商品になる。事物世界の価値増大に正比例して、人間世界の価値低下がひどくなる。労働は商品を生産するだけではない。労働はおのれ自身と労働者をひとつの商品として生産し、しかも一般にさまざまな商品を生産するのに比例して生産する。   経済学哲学草稿 第4章疎外された労働 1844年 (『マルクスコレクションⅠ』p.309 筑摩書房 2005年)


Der Arbeiter wird um so ärmer, je mehr Reichtum er produziert, je mehr seine Produktion an Macht und Umfang zunimmt. Der Arbeiter wird eine um so wohlfeilere Ware, je mehr Waren er schafft. Mit der Verwertung der Sachenwelt nimmt die Entwertung der Menschenwelt in direktem Verhältnis zu. Die Arbeit produziert nicht nur Waren; sie produziert sich selbst und den Arbeiter als eine Ware, und zwar in dem Verhältnis, in welchem sie überhaupt Waren produziert.


■ケインズ以降、国家の介入が普通になったので、一見、現実と違うように見えるが、製造業の派遣労働などを見れば、今も十分にアクチャリティがある。そして、事態の本質をごまかさずに見つめれば、こういうことだろうと思う。

ここで、注目したい言葉に、「die Sachenwelt」(物の世界)がある。「Mit der Verwertung der Sachenwelt nimmt die Entwertung der Menschenwelt in direktem Verhältnis zu.」(事物世界の価値増大に正比例して、人間世界の価値低下がひどくなる。)と表現されている文章の中の言葉である。die Verwertung der Sachenwelt(物の世界の価値増大)とdie Entwertung der Menschenwelt(人間の世界の価値低下)は対比的に用いられ、「die Sachenwelt」(物の世界)は明らかに否定的な響きがある。

「die Sachenwelt」(物の世界)のdie Sacheはdas Dingと同系統の言葉で、日本語では、事物、物、物体、物品などと訳されている。語源的には、もともと、民会や裁判を意味した。古代ゲルマン民会の主要議題が裁判事件であったことで、事件→事柄→物というふうに意味が変化していったらしい。この意味の変化のパターンは英語のthing、フランス語のla chose(ラテン語のcausa訴訟事件・原因→事柄→物)も同じである。SacheはDing、thing、choseと同様、人間の争いの渦中から生まれた言葉だと言えるだろう。人間と人間の関係が凝縮されている。

ところで、日本語の「物」は、物体という意味だけでなく、物の怪や物狂(神がのり移ること)など、人間を超えた存在を示唆する用法がある。また、もののあはれ(物事に触れて起こる情緒)のように対象になるものが否定的に捉えられていない用法もある。端的に言って、人間と人間以外の存在の関係が言語化されているとも言える。

die Verdinglichung der gesellschaftlichen Verhältnisse(社会関係の物象化)「資本論」とマルクスが言ったときに、それが日本語に直されると、人間対人間の関係が物化するばかりか、人間対人間以上の存在の関係も物化するというニュアンスが生じることになる。これには、ベンヤミンの言うアウラなども含まれるのではなかろうか。

もうひとつ重要な概念がある。die Waren(商品)である。英語ではwareに相当し、software、hardwareとしてよく用いられているが、この言葉は、wahren(ドイツ語の守る、維持する)という動詞から来ているらしい。この問題は、資本論のキーコンセプトでもあり、後日、じっくり、検討してみたい。今は、これ以上の情報がない。
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