verse, prose, and translation
Delfini Workshop
芭蕉の俳諧:猿蓑(27)
2009-09-17 / 俳句
(写真)小さな列
夕方の日の色が明らかに澄んできた。10月は父の17回忌か、早いなあ。
しろがねの秋の西日となりにけり 冬月
候補になりそうな本をまとめて発注。今、情報通信技術や身体論との関わりで、posthumanism or transhumanismの領域に関心があり、この分野のものを選んでみた。SFみたいな話が多いのだが、遅かれ早かれ、良かれ悪しかれ、身体の一部がマシーン化される時代に突入するだろう。今でも、ペースメーカーは普通になっている。ナノテクや再生医療、コンピューター科学、ロボット工学の急激な進展と相まって、人間の概念や生死の概念が変わる時代が来るかもしれない。そのときは、学問や芸術も根本的に変容するだろう。こうした社会は、どんな問題を孕むのか、非常に興味のあるところである。
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here and there
eggplants dangle too...
withered fields
achi kochi ni nasubi mo sagaru kareno kana
あちこちに茄子も下る枯の哉
by Issa, 1806
■そう言えば、驚いたのが、ドイツ語で「月見」という言葉があるようなのだ。造語だろうけれど、「Mondschau」。Schauは文字どおり「観ること」を表す名詞だが、「Mondschau」が、どのくらい熟しているのか、不明。たぶん、俳句関係者の間で使われているのだろう。もっと、驚いたのが、ドイツの俳人たちが月見にちなんで俳句を作るということである。月見という日本の習慣が、世界化し始めたのだとしたら、実に愉快である。
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大峰やよしのヽの奥の花の果 曽良
はなちるや伽藍の枢おとし行 凡兆
■曽良の句、「花の果」の措辞に惹かれた。「花の果」には何があるのだろう。凡兆の句、落して行く音が幻想的に響いてくる気がする。枢(くるる)は、戸締りのため戸から敷居に落しさす桟。
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Sound and Vision
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