日本市場での新車販売は大苦戦ということらしい。
んーー、これって、天罰とちゃうの?
これは冗談ですけど、どうなんでしょう。
トヨタがアイデア募集するくらい、本当に困っているらしい。
なので、単なる私見ですが考えてみます。
1.新車販売が厳しい理由(ワケ)
1)品質向上
最も誰でも直ぐに思いつくのがコレ。
かつては新車のモデルチェンジサイクルは早かった(4年くらい?)のですが、今はやや長めとなってきました。そして、旧モデルであっても耐用年数は伸びているので、新モデル投入でも買い替え需要喚起には繋がっていない面があるのかもしれません。これが達成されてきたことは、日本の技術力のが総合的に向上したということであり、技術水準の結晶が顕れているものと思います。部品の一個一個、電気系統とか制御コンピュータとか、ありとあらゆるものの品質向上が達成された、ということです。なので、全然壊れない(笑)。調子が悪くなったりしてあまり不都合を生じないので、別に困ることがなく買い換える必要性を感じない。満足度が高ければ、特に新しい車が欲しいとも思わない。そういうようなことかな、と。
昔、先輩が車を修理に出したので代車が来てたことがあった。あのミラージュ(笑)だった。野郎ばかり3人(うち1人が私だ)乗っていたら、真冬だったせいか信号待ちで止まっていたらエンジンが止まってしまった。あれ?となったのだけど、エンジンがかからない。結局修理工場の人に取りに来てもらったら、バッテリーが上がっていた。一同、なんだよー、って感じだったが、イマドキあんなことは見たことも聞いたこともない。ついさっきまで普通に走っていたのに、信号待ちで止まっただけでこれかよ、ってなもんですよね。一つ一つの品質向上って、そういうようなことの積み重ねなんだよね。タイヤのホイールとか、昔メチャ重かったし。今はスケスケだ。馬車か大八の車輪みたいなもんだ。燃費向上って一口に言っても、軽量化とか燃焼効率向上とか、ビス穴一つとか、板部品の薄さ0.1mmとか、そういう細かい積み上げで、技術者たちのこだわりの結晶だろうと思うのですよ。なので、基礎的技術水準(あらゆる分野に共通するベースの水準)が底上げされ、それらに支えられる工業製品の品質も良くなって当然なのだろうな、と。
2)中古市場拡大
1)の恩恵の結果、耐用年数が延長されたので中古市場が拡大することになるでしょう。アメリカみたいに、千ドル以下で買える車というのは少ないですが、恐らく海外に売られているのでしょう。日本車は品質がいいので、かなりの年数乗れると思います。そこまで行かない、10年以内程度の中古はかなり出回っています。ディーラーの下取りがあるから、ということも関係するかもしれませんね。新車と中古から選択となれば、新車の買い替えサイクルは延長していくことになるのではなかろうか、と。
ところで、外車は「ああ、カッコいいな」と思っている車種はありますが、どうも故障の噂が多いイメージ。特に、英米圏(会社の身売りで本当の本社は変わってしまったけど)。新車で買ったのに、1年もしないうちに「工場行き」というのは(勿論事故じゃないよ)、遭遇(友人知人界隈だけど)確率が結構ある。心の中では、「やっぱ、○○人はどうも信用ならないな。移民労働者をこき使ってるからこうなるんだYO!」とかこっそり思っていたりする。大体が、日本人に比べ不器用な連中が多いイメージ。中古の外車は要注意、と思っていた方がいいような気がする…。
3)若者の生活スタイル変化
一つ大きな要因としては、人口減少社会の影響で若年層の実数が減ったことがあるでしょう。18歳過ぎの潜在需要者が毎年「車市場」に新規参入してくるのですが、確実にこの数が減っているのですからね。仮に、平均的に「20歳男性の15%が車を買う」ということが毎年起こっていたとしたら、20歳男性の数が90万人いる時代と60万人いる時代では、前者なら13万5千台売れるが後者では9万台しか売れないということ。マーケットの新規参入者が減っているのだから、潜在需要は減る可能性が高いように思える。
別な視点では、若者の持っているお金が減っていることがあるかもしれない。平均的に収入が少なくなったので、新車には手が届かない為に、中古で調達するようになる、ということかと。特に男性の収入減少の影響が大きいと思います。失業とかフリーターとか(所謂ニートとか)で、車を買えない可能性が昔よりも高まったのではないかな、と。
ちょっと変な方向ですけれども、暴走族さえも減っているとのことで(高齢化が著しいらしいし、笑)、かつては「車を買っていた層」というのが確実に減少したであろう。車雑誌の発行部数とか判りませんけれども、車やバイク(オートバイの方です)の雑誌が休廃刊があったとか、部数減少傾向が明らかなのであれば、暴走族減少傾向などと整合的なデータであるかもしれません。昔のように「車いのち」と思って、生活は貧乏でも車だけには金を注ぎ込みたい、というような若い男性はかなり減ってしまったのではないでしょうか。今は、それが「萌え」だの「アキバ系」だのといった、別な分野に変わっていったのではないか、と。
で、持っているお金が減ったことは生活スタイルにも影響していて、どうも室内で過す若者の数が増えている傾向かもしれません。出かけるお金がもったいない、ということです。主に室内で、携帯使ったり、メールしたり、ネットしたり、DVD観たり、ゲームしたり、ということかと。昔みたいに、デートで「ドライブに行こう」とかって誘う人は、めっきり少なくなったのでは?ネット、通信、ゲームや映像関連への支出が増加した分、他で減らすしかないので車やバイクに投入されるお金は減ることになったのではないかな、と。彼女と一緒に車内で過す時間よりも、携帯メールをしている時間の方が多くなったのでは、というようなことです。若者にとって、新車に資金を投入する優先順位は「大幅に低下した」ということです。
4)都心回帰
仕事を求めて地方の若者は都会を目指して転居してしまい、地方から減って行ったのでは。更に、都会でも不便な周辺部に生活していた人々は都心方向への移住が増加し、鉄道などの都市交通が充実していれば沿線生活で十分事足りるので、車の必要性があまりない、ということになったのかな、と。これは都市集積化の恩恵ということにもなるかも。車の台数が減るから、環境には良いはずでしょう。メーカーにとっては車が売れないのも辛い、ということなんでしょうけどね。
5)法人や官公庁の台数減少
昔はバ○でも××でも、公用車みたいなのとか、黒塗りだったりしていたでしょう。会社の社用車とかも、それなりにあったはずなのですが、これらの需要が減った可能性はあると思います。特に官公庁では公用車廃止とか削減の動きが多かったですし、市町村合併だけで数千台規模の需要減ということになるかもしれません。社用車がなくても活動できる仕事が増えれば、「自分の足で営業」みたいなものが減ることになるので、法人所有の台数を削減することになります。それらの入れ替えというのがあまり行われなくなった、ということかと。それと、中小企業オーナークラスのお金がなくなった、というのもあるかも。かつては、オヤジ風会社社長といえば、クラウンとかセドリックに乗っていたもんで、そういう中小企業オーナーたちが買えなくなってきた、ということなのかな、と。
6)地方の疲弊、収入減
上の5)にも関連するかもしれません。東京みたいな都会であると都市交通網が発達しているので車はあまり必要ないと思いますけれども、地方では公共交通自体が未整備であるので、車がないと大変不便なのです。時間が無駄になってしまいやすいのです。なので、自家用車を必要としていることが多いでありましょう。けれど、若者が減った(都会へ出る、出生数減)+残っている若者は金がない+(かつて買い与えていた)親や祖父にも金がない、というようなことで、売れなくなってきた可能性はあるのかな、と思いますね。東京で生活するなら、車なんてなくてもあまり不便を感じないでしょう、きっと。でも、地方は違うんですよね。地方の人々の購買能力が失われていけば、必然的に売れる数は減っていくでしょう。
今後の人口減少傾向が継続すれば、地方は廃れていくし、買う人々は減る一方になるので確実に売れなくなるでしょう。地方の所得が増えなければ、やはり売れなくなるでしょう。
2.売れるようにするにはどうしたらよいか?
自工会の社長さんたちは、「道路、道路」と言って道路に金をかければ車が売れると勘違いしているのかもしれないが、全然違うんですよ。虫かごがどんなに立派でも、入れるカブトムシがいなけりゃ、ただの箱だろ、っての(爆)。これも前に書いたけど。企業がきちんと従業員たちとか下請け中小企業とかに「金を出せ」ってことなんですよ。給料を上げてやれ、ってことなんですよ。若者たちを雇ってあげて、給料を払ってやれ、ってことなんですよ。
でも、これは自動車メーカーばかりのせいじゃないから、仕方がないんですけどね。労働者たちの「給料・収入が上がっていくであろう」という未来予測とかが大事なのですよ、根本的には。それには、ある水準で「物価が継続的に上昇していくこと」というのが必然なのですけれども。この「給料上がる」「消費増える」「物価が上がる」「企業利益増える」「給料上がる」消費増える」「物価が上がる」というような、正のフィードバックと言いますか、水車が一定方向に回っていくように、経済の水車が回っていかないとならないんですよ。これが長きに渡るデフレ期間で、逆回転になってしまったんですよ。人々の考え方も、その逆回転に合わせるようになってしまっているんですよ。これを解き放つのは、容易ではありませんよ。
日銀がバブルのトラウマを未だに引きずって、その恐怖心を払拭できていないように、人々の生活があれほど破壊され、自信を喪失し、自分たちのかつての姿を見失い、将来の不安に怯え、悩み、迷い、希望を失ったのですから、その深刻な心的ダメージは計り知れないものがあるでしょう。その傷がまだ癒えていない人々が大勢いるんですよ。だから、誰かが手助けしてあげなければならないのです。立ち直れるように、傷を手当てしてあげて、心を癒してあげて、不安を少なくしてあげないとならないのですよ。それができるのは、本来的には日銀とか財政当局であったはずなのに、自らの責務を取り違えて経済政策、日本の運営を誤ってしまったのです。だからこそ、その失政の責任が大きい、そのことの意味が判っているのですか、と言っているのです。
企業経営者たちも、同じく苦悩し、地獄の苦しみを味わったこともあったでしょう。それは判ります。けれども、弱き人々は自分の力で完全治癒せよ、ということを求められても、難しいんですよ。自力で立てないくらい、ダメージを受けた人たちだって大勢いるんですよ。だからこそ、強きものたち(=優秀な企業群のことだ、日本の誇る企業群のことですよ)が風雨を遮ってあげることが大事なんですよ。そうすれば国内消費は増加し、経済活性化の道が開けてくるはずでしょう。けれども、その役割を多くの企業が一斉に放棄した。誤った経営思想を吹き込まれ、「切り捨て」の方向にだけ偏り、持っていたものを失ったのです。企業なんて、人が死んだら、ただの入れ物なんですよ。輝くバッジが仕事をするわけじゃない。バッジの中に込められた、先人たちの思いの全てが、後進の「人間」たちに継承されていくんだよ。思いを失ったら、バッジはただの金属塊になってしまうだけなんですよ。「人間」を失うとは、思いを失っていったのと同じことなのですよ。企業を支えていたものは、企業の人間たちだったじゃないか。
話がずれてきたので、また別の機会に。
いずれにせよ、上記理由によって、新車は売れなくなったのではないのかな、と。
売れるようにしたいのなら、企業が金を出せってこと。給料を上げてあげなさい、若者に仕事をどんどん与えなさい、地方にこそ仕事を持って行きなさい、ということかと。
ディーセントな仕事を作り出してあげることこそ、最大の「販売戦略」なんだってば。東南アジアとかでもそうなんじゃないの?仕事を生み出してあげることで、車の購買層が生み出されるのでしょ。
特に経団連とか経済同友会のような「強力な経済団体」でこそ、企業が従業員たちに金を払うんだ、取引企業にも払うんだ、ということを浸透させていくべきだろう。キャッシュを持つことが正しいのではない、良い使い方ができてこそ意味があるというものなのだよ。金庫に金をいくら積んでおいても何も生み出さない、って前から言ってるでしょ(金は天下の・・・)。
大体、「下請け」って発想が間違ってるんだよ。仕事のパートナーなんだよ。プロ同士が互いの仕事をきっちりやっていくってことでしょ。ただ見かけ上は片方が大きくて有名なだけだ。大企業と下請けって関係は、大企業側が偉ぶってるだけに思えるね。
フランス料理店で、「オレは2千円ポッキリしか払わないけど、有名ホテルのシェフ並みのフルコースを出してくれ」とか言うのかね?ずうずうしいんだよ。いい仕事を求めるなら、当然それに見合う対価を払えってことだ。安くしか払わないのであれば、当然それに見合う仕事だけしかできないに決まってる。大企業のお偉方ってのは、本当にそういうことが判っているのか?2千円ポッキリで、ってみんなが値切り続けて、結果今の日本経済の状況をもたらした、ってことだよ。
段々脱線が酷くなったな。ゴメンね。
んーー、これって、天罰とちゃうの?
これは冗談ですけど、どうなんでしょう。
トヨタがアイデア募集するくらい、本当に困っているらしい。
なので、単なる私見ですが考えてみます。
1.新車販売が厳しい理由(ワケ)
1)品質向上
最も誰でも直ぐに思いつくのがコレ。
かつては新車のモデルチェンジサイクルは早かった(4年くらい?)のですが、今はやや長めとなってきました。そして、旧モデルであっても耐用年数は伸びているので、新モデル投入でも買い替え需要喚起には繋がっていない面があるのかもしれません。これが達成されてきたことは、日本の技術力のが総合的に向上したということであり、技術水準の結晶が顕れているものと思います。部品の一個一個、電気系統とか制御コンピュータとか、ありとあらゆるものの品質向上が達成された、ということです。なので、全然壊れない(笑)。調子が悪くなったりしてあまり不都合を生じないので、別に困ることがなく買い換える必要性を感じない。満足度が高ければ、特に新しい車が欲しいとも思わない。そういうようなことかな、と。
昔、先輩が車を修理に出したので代車が来てたことがあった。あのミラージュ(笑)だった。野郎ばかり3人(うち1人が私だ)乗っていたら、真冬だったせいか信号待ちで止まっていたらエンジンが止まってしまった。あれ?となったのだけど、エンジンがかからない。結局修理工場の人に取りに来てもらったら、バッテリーが上がっていた。一同、なんだよー、って感じだったが、イマドキあんなことは見たことも聞いたこともない。ついさっきまで普通に走っていたのに、信号待ちで止まっただけでこれかよ、ってなもんですよね。一つ一つの品質向上って、そういうようなことの積み重ねなんだよね。タイヤのホイールとか、昔メチャ重かったし。今はスケスケだ。馬車か大八の車輪みたいなもんだ。燃費向上って一口に言っても、軽量化とか燃焼効率向上とか、ビス穴一つとか、板部品の薄さ0.1mmとか、そういう細かい積み上げで、技術者たちのこだわりの結晶だろうと思うのですよ。なので、基礎的技術水準(あらゆる分野に共通するベースの水準)が底上げされ、それらに支えられる工業製品の品質も良くなって当然なのだろうな、と。
2)中古市場拡大
1)の恩恵の結果、耐用年数が延長されたので中古市場が拡大することになるでしょう。アメリカみたいに、千ドル以下で買える車というのは少ないですが、恐らく海外に売られているのでしょう。日本車は品質がいいので、かなりの年数乗れると思います。そこまで行かない、10年以内程度の中古はかなり出回っています。ディーラーの下取りがあるから、ということも関係するかもしれませんね。新車と中古から選択となれば、新車の買い替えサイクルは延長していくことになるのではなかろうか、と。
ところで、外車は「ああ、カッコいいな」と思っている車種はありますが、どうも故障の噂が多いイメージ。特に、英米圏(会社の身売りで本当の本社は変わってしまったけど)。新車で買ったのに、1年もしないうちに「工場行き」というのは(勿論事故じゃないよ)、遭遇(友人知人界隈だけど)確率が結構ある。心の中では、「やっぱ、○○人はどうも信用ならないな。移民労働者をこき使ってるからこうなるんだYO!」とかこっそり思っていたりする。大体が、日本人に比べ不器用な連中が多いイメージ。中古の外車は要注意、と思っていた方がいいような気がする…。
3)若者の生活スタイル変化
一つ大きな要因としては、人口減少社会の影響で若年層の実数が減ったことがあるでしょう。18歳過ぎの潜在需要者が毎年「車市場」に新規参入してくるのですが、確実にこの数が減っているのですからね。仮に、平均的に「20歳男性の15%が車を買う」ということが毎年起こっていたとしたら、20歳男性の数が90万人いる時代と60万人いる時代では、前者なら13万5千台売れるが後者では9万台しか売れないということ。マーケットの新規参入者が減っているのだから、潜在需要は減る可能性が高いように思える。
別な視点では、若者の持っているお金が減っていることがあるかもしれない。平均的に収入が少なくなったので、新車には手が届かない為に、中古で調達するようになる、ということかと。特に男性の収入減少の影響が大きいと思います。失業とかフリーターとか(所謂ニートとか)で、車を買えない可能性が昔よりも高まったのではないかな、と。
ちょっと変な方向ですけれども、暴走族さえも減っているとのことで(高齢化が著しいらしいし、笑)、かつては「車を買っていた層」というのが確実に減少したであろう。車雑誌の発行部数とか判りませんけれども、車やバイク(オートバイの方です)の雑誌が休廃刊があったとか、部数減少傾向が明らかなのであれば、暴走族減少傾向などと整合的なデータであるかもしれません。昔のように「車いのち」と思って、生活は貧乏でも車だけには金を注ぎ込みたい、というような若い男性はかなり減ってしまったのではないでしょうか。今は、それが「萌え」だの「アキバ系」だのといった、別な分野に変わっていったのではないか、と。
で、持っているお金が減ったことは生活スタイルにも影響していて、どうも室内で過す若者の数が増えている傾向かもしれません。出かけるお金がもったいない、ということです。主に室内で、携帯使ったり、メールしたり、ネットしたり、DVD観たり、ゲームしたり、ということかと。昔みたいに、デートで「ドライブに行こう」とかって誘う人は、めっきり少なくなったのでは?ネット、通信、ゲームや映像関連への支出が増加した分、他で減らすしかないので車やバイクに投入されるお金は減ることになったのではないかな、と。彼女と一緒に車内で過す時間よりも、携帯メールをしている時間の方が多くなったのでは、というようなことです。若者にとって、新車に資金を投入する優先順位は「大幅に低下した」ということです。
4)都心回帰
仕事を求めて地方の若者は都会を目指して転居してしまい、地方から減って行ったのでは。更に、都会でも不便な周辺部に生活していた人々は都心方向への移住が増加し、鉄道などの都市交通が充実していれば沿線生活で十分事足りるので、車の必要性があまりない、ということになったのかな、と。これは都市集積化の恩恵ということにもなるかも。車の台数が減るから、環境には良いはずでしょう。メーカーにとっては車が売れないのも辛い、ということなんでしょうけどね。
5)法人や官公庁の台数減少
昔はバ○でも××でも、公用車みたいなのとか、黒塗りだったりしていたでしょう。会社の社用車とかも、それなりにあったはずなのですが、これらの需要が減った可能性はあると思います。特に官公庁では公用車廃止とか削減の動きが多かったですし、市町村合併だけで数千台規模の需要減ということになるかもしれません。社用車がなくても活動できる仕事が増えれば、「自分の足で営業」みたいなものが減ることになるので、法人所有の台数を削減することになります。それらの入れ替えというのがあまり行われなくなった、ということかと。それと、中小企業オーナークラスのお金がなくなった、というのもあるかも。かつては、オヤジ風会社社長といえば、クラウンとかセドリックに乗っていたもんで、そういう中小企業オーナーたちが買えなくなってきた、ということなのかな、と。
6)地方の疲弊、収入減
上の5)にも関連するかもしれません。東京みたいな都会であると都市交通網が発達しているので車はあまり必要ないと思いますけれども、地方では公共交通自体が未整備であるので、車がないと大変不便なのです。時間が無駄になってしまいやすいのです。なので、自家用車を必要としていることが多いでありましょう。けれど、若者が減った(都会へ出る、出生数減)+残っている若者は金がない+(かつて買い与えていた)親や祖父にも金がない、というようなことで、売れなくなってきた可能性はあるのかな、と思いますね。東京で生活するなら、車なんてなくてもあまり不便を感じないでしょう、きっと。でも、地方は違うんですよね。地方の人々の購買能力が失われていけば、必然的に売れる数は減っていくでしょう。
今後の人口減少傾向が継続すれば、地方は廃れていくし、買う人々は減る一方になるので確実に売れなくなるでしょう。地方の所得が増えなければ、やはり売れなくなるでしょう。
2.売れるようにするにはどうしたらよいか?
自工会の社長さんたちは、「道路、道路」と言って道路に金をかければ車が売れると勘違いしているのかもしれないが、全然違うんですよ。虫かごがどんなに立派でも、入れるカブトムシがいなけりゃ、ただの箱だろ、っての(爆)。これも前に書いたけど。企業がきちんと従業員たちとか下請け中小企業とかに「金を出せ」ってことなんですよ。給料を上げてやれ、ってことなんですよ。若者たちを雇ってあげて、給料を払ってやれ、ってことなんですよ。
でも、これは自動車メーカーばかりのせいじゃないから、仕方がないんですけどね。労働者たちの「給料・収入が上がっていくであろう」という未来予測とかが大事なのですよ、根本的には。それには、ある水準で「物価が継続的に上昇していくこと」というのが必然なのですけれども。この「給料上がる」「消費増える」「物価が上がる」「企業利益増える」「給料上がる」消費増える」「物価が上がる」というような、正のフィードバックと言いますか、水車が一定方向に回っていくように、経済の水車が回っていかないとならないんですよ。これが長きに渡るデフレ期間で、逆回転になってしまったんですよ。人々の考え方も、その逆回転に合わせるようになってしまっているんですよ。これを解き放つのは、容易ではありませんよ。
日銀がバブルのトラウマを未だに引きずって、その恐怖心を払拭できていないように、人々の生活があれほど破壊され、自信を喪失し、自分たちのかつての姿を見失い、将来の不安に怯え、悩み、迷い、希望を失ったのですから、その深刻な心的ダメージは計り知れないものがあるでしょう。その傷がまだ癒えていない人々が大勢いるんですよ。だから、誰かが手助けしてあげなければならないのです。立ち直れるように、傷を手当てしてあげて、心を癒してあげて、不安を少なくしてあげないとならないのですよ。それができるのは、本来的には日銀とか財政当局であったはずなのに、自らの責務を取り違えて経済政策、日本の運営を誤ってしまったのです。だからこそ、その失政の責任が大きい、そのことの意味が判っているのですか、と言っているのです。
企業経営者たちも、同じく苦悩し、地獄の苦しみを味わったこともあったでしょう。それは判ります。けれども、弱き人々は自分の力で完全治癒せよ、ということを求められても、難しいんですよ。自力で立てないくらい、ダメージを受けた人たちだって大勢いるんですよ。だからこそ、強きものたち(=優秀な企業群のことだ、日本の誇る企業群のことですよ)が風雨を遮ってあげることが大事なんですよ。そうすれば国内消費は増加し、経済活性化の道が開けてくるはずでしょう。けれども、その役割を多くの企業が一斉に放棄した。誤った経営思想を吹き込まれ、「切り捨て」の方向にだけ偏り、持っていたものを失ったのです。企業なんて、人が死んだら、ただの入れ物なんですよ。輝くバッジが仕事をするわけじゃない。バッジの中に込められた、先人たちの思いの全てが、後進の「人間」たちに継承されていくんだよ。思いを失ったら、バッジはただの金属塊になってしまうだけなんですよ。「人間」を失うとは、思いを失っていったのと同じことなのですよ。企業を支えていたものは、企業の人間たちだったじゃないか。
話がずれてきたので、また別の機会に。
いずれにせよ、上記理由によって、新車は売れなくなったのではないのかな、と。
売れるようにしたいのなら、企業が金を出せってこと。給料を上げてあげなさい、若者に仕事をどんどん与えなさい、地方にこそ仕事を持って行きなさい、ということかと。
ディーセントな仕事を作り出してあげることこそ、最大の「販売戦略」なんだってば。東南アジアとかでもそうなんじゃないの?仕事を生み出してあげることで、車の購買層が生み出されるのでしょ。
特に経団連とか経済同友会のような「強力な経済団体」でこそ、企業が従業員たちに金を払うんだ、取引企業にも払うんだ、ということを浸透させていくべきだろう。キャッシュを持つことが正しいのではない、良い使い方ができてこそ意味があるというものなのだよ。金庫に金をいくら積んでおいても何も生み出さない、って前から言ってるでしょ(金は天下の・・・)。
大体、「下請け」って発想が間違ってるんだよ。仕事のパートナーなんだよ。プロ同士が互いの仕事をきっちりやっていくってことでしょ。ただ見かけ上は片方が大きくて有名なだけだ。大企業と下請けって関係は、大企業側が偉ぶってるだけに思えるね。
フランス料理店で、「オレは2千円ポッキリしか払わないけど、有名ホテルのシェフ並みのフルコースを出してくれ」とか言うのかね?ずうずうしいんだよ。いい仕事を求めるなら、当然それに見合う対価を払えってことだ。安くしか払わないのであれば、当然それに見合う仕事だけしかできないに決まってる。大企業のお偉方ってのは、本当にそういうことが判っているのか?2千円ポッキリで、ってみんなが値切り続けて、結果今の日本経済の状況をもたらした、ってことだよ。
段々脱線が酷くなったな。ゴメンね。