電脳筆写『 心超臨界 』

自由とは進化向上のチャンスにほかならない
( アルベール・カミュ )

般若心経 《 洞爺丸事件で命拾いした私の体験――松原泰道 》

2024-08-30 | 03-自己・信念・努力
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  洞爺丸が大きく傾いたとき、赤子(あかご)を背に負い幼児の手を引
  いて、転びつまろびつ救助を求めている若い日本の女性がいた。た
  またまその場に、一人の外人の神父さんが乗り合わせていた。彼は
  船員から与えられた浮き袋を持っていたが、何を思ったか、その救
  命具を、彼からすれば外人であるこの若い日本人の母に無言で渡し
  た。彼女は泣いて手を合わせて喜んだ……。
  ( 三浦綾子の作品より )


『わたしの般若心経』
( 松原泰道、祥伝社 (1991/07)、p313 )
10章 羯諦羯諦(ぎゃていぎゃてい)……仏の真言――心経から何が得られるか
(2) 般若心経の功徳

◆洞爺丸(とうやまる)事件で命拾いした私の体験

私は昭和29年9月に、北海道へ講演旅行をしました。帰りは函館から洞爺丸に乗船の予定でしたが「台風が近づいているから早く帰れ」という先輩の強引な忠告で、洞爺丸より二便前の連絡船に乗ったために、遭難せずに今日まで生き延びられたのです。もしも私が先輩の忠告を受けなかったら、私は洞爺丸台風の犠牲者の一人になっていたはずです。

また私は数年前に、東京でタクシーに乗っていて、前方から走ってきたライトバンと正面衝突をしました。タクシーの運転手はその衝撃で気を失い、ムチウチ症で長い間、入院生活をしなければなりませんでした。しかし私は、危険な助手席にすわっていたのに、微傷(かすりきず)一つ受けなかったのです。世間の人は「あなたの信心のお徳だ、信心のおかげだ」と褒(ほ)めてくれます。

とかく信心や信仰のご利益というと、災難をまぬかれたという面だけを取り上げて言いますが、私はそれは違うと思うのです。したがって私は、自分が遭難しなかったことを手放しでは喜べないのです。他が傷ついたり死んだりしてるのに、多数の人が命を亡(うしな)っているのに、自分だけが助かったのを喜んでいいのでしょうか。遺族の人が、私に対してどんな思いを抱いているかと思うと、浅ましい身勝手を、崇高(すうこう)であるべき信心と擦(す)り換えているのではないか、と思うのです。

洞爺丸の場合、ある新聞記者が私に、信心のたまものだとしきりに讃(たた)え(?)るので、私は耐えられなくなって、

「それは違う、私一人が死んで多くの人が救われたのなら、それが私の信心のご利益なので、君の言うのは反対だ。なぜなら、私の宗教者という職務からいえば、説明のいらない当然のことではないですか――」

と答えました。しかしその記者には、私の意味がわかりかねたようです。

その後、たまたま作家の三浦綾子(みうらあやこ)さんが洞爺丸を取材して書かれた作品に、題名は忘れましたが、次のような概要の場面がありました。

  洞爺丸が大きく傾いたとき、赤子(あかご)を背に負い幼児の手を引
  いて、転びつまろびつ救助を求めている若い日本の女性がいた。た
  またまその場に、一人の外人の神父さんが乗り合わせていた。彼は
  船員から与えられた浮き袋を持っていたが、何を思ったか、その救
  命具を、彼からすれば外人であるこの若い日本人の母に無言で渡し
  た。彼女は泣いて手を合わせて喜んだ……。

私は原作で読んだときの感激が、今も忘れられません。外人の神父さんとて人間です。命が惜しいのに変わりはないでしょう。それを抑(おさ)えて未知の日本人に救命具を譲って悔いない心情こそ、信心の力・ご利益だと思うのです。神父さんから救命具を与えられた日本の女性や子どもたちが、救命されたかどうかは不明です。しかしそれ以上に確実視されるのは、この神父さんの死です。

その後、私は先の新聞記者に、三浦綾子さんの作品を読むようにすすめました。数日後、彼からの電話に、

「いやあ、僕の考え方は甘かったんですな、ご利益ってすごく厳粛なもんですね。いやあ、まいったな……」

との嘆声が、受話器を通して返ってきました。
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