電脳筆写『 心超臨界 』

影は光があるおかげで生まれる
( ジョン・ゲイ )

セレンディビティの予感 《 感興をわかせるために――坪内稔典 》

2024-08-30 | 04-歴史・文化・社会
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日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
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  セレンディピティ(英語: serendipity)とは、素敵な偶然に出会ったり、
  予想外のものを発見すること。また、何かを探しているときに、探して
  いるものとは別の価値があるものを偶然見つけること。平たく言うと、
  ふとした偶然をきっかけに、幸運をつかみ取ることである。
  [ ウィキペディア ]


『時のめぐりに』の後記には、「部屋に閉じこもっていては感興は生まれない」とある。歌人は休日に行き当たりばったりに用のない町などを歩き、「感興」を得ようとした。感興は何かに感激するいわゆる「感動ではなく、微妙に心が動いたり揺れたりすることだ。この感興、自ら動かないと生じない。


◆「感興をわかせるために」 詩歌のこだま、坪内稔典(俳人)
 ( SUNDAY NIKKEI 2005.05.22 日経新聞(朝刊))

小池光の歌集『時のめぐりに』(本阿弥書店)は、歌人があちこちに出かけてゆく歌集だ。この歌集、本年度の迢空賞を受賞した。(注:原文の“迢”の字のしんにゅうには点がひとつ)

 山が吐く大いなる気をば吸はむとて
 五月のやまにわれは入りゆく

これは山に出かけた歌。「山」が二度目には平仮名の「やま」になっている点に注目すべきだが、それはともかく、歌人は出かけた先でいろんな「気」を吸う。この「気」とは、面白いと思う何か。別の言葉で言えば、「感興」である。

『時のめぐりに』の後記には、「部屋に閉じこもっていては感興は生まれない」とある。歌人は休日に行き当たりばったりに用のない町などを歩き、「感興」を得ようとした。感興は何かに感激するいわゆる「感動ではなく、微妙に心が動いたり揺れたりすることだ。この感興、自ら動かないと生じない。

次の歌などは羽虫を注視することで感興を得ようとしている。「充電をしている電気剃刀をひとつの羽虫めぐりてやまず」。何かを注視することには出かけることと同じ効果がある。羽虫に心の動いた歌人は、自分の生もまたこの羽虫のようだと思ったのだろうか。

ここまで書いた時、木坂涼のエッセイ集『ベランダの博物誌』(西田書店)が届いた。猫、ゴリラ、ピーマン、枕、バケツ、おっぱい、絵本、句会など、身辺の何気ないものに触れ、あるいはそれらを注視し、詩人が感興をわかせた本だ。

夫人と二人して布団カバーの架け替えをする九十代のまどみちお、落花生を「コツコツカツカツ」と歯を鳴らして食べる老詩人の話などが、鈴虫やゴリラやシオマネキの話と並んでいる。ちなみに、シオマネキのオスはちょうど今の時期、求愛のために、はさみを振る。「振って振って降りまくる」。

『ベランダの博物誌』の帯には、「見つめることは考えること」とある。正確に言えば、見つめると感興が生じ、それから考えるのではないだろうか。

さて、俳人は吟行を好み、外へ出て俳句を作るが、実は句を作る以上に大事なことが吟行にはある。何かに触れて感興を高めることがそれ。吟行は感興発生装置なのだ。ともあれ、詩歌とは感興を通して紡がれた言葉の世界であろう。


◆何か見て感動してこい

『「足るを知る」こころ―般若心経と仏教の知恵』
( 松原泰道、プレジデント社、p227 )

【松原】 現代人は感動をなくしたんですね。ものに感動しなくなった。

私の友人の曹洞宗のお坊さんで、香川県高松市で非行少年や少女の世話をする『喝破道場という施設をつくって活動している野田大燈という人がいます。仕事の関係で県警の刑事とも親しくなり、あるときその刑事からこう聞かれたのだそうです。

「今朝、朝礼で署長から『君たち、自分の家や宿舎から本署へ来るまでに感動したことはないのか』と問われ、皆顔を見合わせて『感動したことなどない』と答えたら、『感動がないようなことで警察の大事な仕事ができるか。君たち、出勤時間のぎりぎりに起きてるだろう。朝ちょっと早く起きて、少し道を歩いて何か見て感動してこい』としかられたんだけど、どういうことなんでしょう」と。

【石原】 その方は、どう答えられたんですか。

【松原】 芭蕉の「よく見れば薺花(なずなばな)咲く垣ねかな」を思い出して、そのお話をしたと機関誌に書いておられます。

薺というのはぺんぺん草で、普通の人はあまり綺麗な花とは思わないのでしょうが、そこに美を見いだすのはさすが芭蕉です。「見て、見詰めて、見究めたときに、その花から何か語りかけるものを感じて感動する。それがなかったら人間の気持ちもわからないだろう」と私も同感です。その後ふっと芭蕉の「静かにみればものみな自得すといえり」という言葉を思い出しました。これは『法華経』にも書かれているとおり、静かに見ていると皆それぞれが成仏しているのがわかるということです。
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