電脳筆写『 心超臨界 』

心地よいサマーレインのように
ユーモアは一瞬にして大地と空気とあなたを洗い清める
( ラングストン・ヒューズ )

こころのチキンスープ 《 リンカーンはあきらめなかった 》

2024-06-26 | 03-自己・信念・努力
電脳筆写『心超臨界』へようこそ!
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。

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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
■超拡散『世界政治の崩壊過程に蘇れ日本政治の根幹とは』
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■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
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  何かをやろうと決めたら、途中でやめてはいけない、と誰でも思っ
  ている。努力することが、人生において我々に与えられた義務だか
  らである。私はその義務を果たすようにとの神の声を聞いた。
    アブラハム・リンカーン


◆リンカーンはあきらめなかった

『こころのチキンスープ』愛の奇跡の物語
( ジャック・キャンフィールド & マーク・V・ハンセン、ダイアモンド社、p205 )

おそらく、ねばり強さにかけてはアブラハム・リンカーンの右に出る者はいないだろう。また、リンカーンは決してあきらめなかった人の代表としてもうってつけの人物である。貧しい家に生まれ、その生涯は挫折の連続だった。選挙に8回破れ、商売は2回失敗し、神経衰弱にもかかった。

これだけ敗北が続けば、途中で志を投げ出したとしても何ら不思議ではない。だが、彼はあきらめなかった。だからこそ、米国史に残る偉大な大統領になったのである。

リンカーンは、決してあきらめず、ついにチャンピオンとなった。苦難と忍耐の道を歩いた末、ホワイトハウスにたどりついた彼の略歴をご紹介しよう。

  1816年  リンカーン一家は家の立ち退きを迫られ、家族を養
         うために働き始める
  1818年  母親が死亡
  1831年  共同経営の家が倒産
  1832年  イリノイ州議会に立候補し落選
         そして失業
         法律学校を受験し失敗
  1833年  友人から借金をして新しい商売を始めるが同年中に
         倒産
         17年かかって借金を返済する
  1834年  再び州議会に立候補し当選
  1835年  婚約するが相手の女性が死亡し、失意のどん底に
  1836年  極度の神経衰弱に陥り半年間病床につく
  1838年  州議会議長に立候補し落選
  1840年  大統領選挙人に立候補し落選 
  1843年  連邦下院議員に立候補し落選
  1846年  再び連邦下院議員に立候補し当選
         ワシントンに移り、業績をあげる
  1848年  連邦下院議員の再選をめざすが、落選
  1849年  国有地管理局長の職を逃す
  1854年  連邦上院議員指名投票で落選
  1856年  共和党大会で副大統領候補としての指名を狙うがわ
         ずか百票しか集まらず、落選
  1858年  連邦上院議員指名投票で再度落選
  1860年  アメリカ大統領に選出される

連邦上院議員選挙に落選したときのリンカーン自身の言葉を引用しよう。

「道はつるつるですべりやすかった。片足がすべって、バランスを失いひっくり返ってしまった。でも私は起きあがって自分に言い聞かせた。『ちょっとすべっただけさ。ころんだわけじゃない』」

     作者不明
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