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「日本型イノベーション」のあり方――生活者の感性 呼び起こせ
堀井秀之・東京大学教授
【「経済教室」09.08.18日経新聞(朝刊)】
(ポイント)
・「イノベーション=技術革新」の誤解とけ
・人間中心のイノベーションで日本は優位
・「デザイン思考」重視し、日本らしさ追及を
「技術中心」から脱却を――価値観や社会の変化誘導
日本の電気メーカーは、液晶テレビのコマーシャルで薄さを売りにしている。だが、消費者がテレビを選ぶときに世界で最も薄いことが決め手になるのだろうか。イノベーションを辞書で引くと、「(新機軸・刷新・革新の意)生産技術の革新に限らず、新商品の導入、新市場または新資源の開拓、新しい経営組織の実施などを含めた概念」とある。ただ、わざわざ「わが国では技術革新という狭い意味に用いる」という解説が加わっている。ここに問題の本質があるように思われる。
◆◆◆ ◆◆◆
イノベーションの概念を導入したシュンペーターは、新しい発明なしにもイノベーションが生じると強調した。しかし、日本が技術開発を得意とするがゆえに、イノベーションを技術革新という狭い意味でしか用いていないケースが多い。激しい技術開発競争のなかで、技術目標の達成に専念するあまり、いつしか手段は目的となった。価値の創造が目的であるのに、価値創造の手段である技術開発が目的となってしまったのだ。
イノベーションの本来の意味に立ち返り、どんな方向を目指すべきなのだろうか。それには、技術中心主義を改め、生活者に照準を定めることが重要だろう。生活者が潜在的に何を求めているかを感知し、「ああ、私はこういうものを求めていたのだ」と思わせるようなモノやサービスを提供できるようにすることが課題になるのだ。
これに対処する上で、「人間中心イノベーション」という考え方が重要となる。人間中心イノベーションとは、人々は生活や価値観を深く洞察し、新製品やサービス、ビジネスモデル、社会システムなどを生み出していくことで、人々のライフスタイルや価値観の変化を誘導するものだ。
日本人の感性に基づく優れたモノやコトを次々に生み出していくこと、すなわち「日本らしさの追求」こそが、日本が追い求めるべき戦略である。この点で、日本人に独創性がないというのは大きな誤解であり、世界が称賛する「クールジャパン」に象徴されるように、日本人は人間中心イノベーションを生み出す能力に長(た)けている。
人間中心イノベーションを生み出すためには、注目する状況に没入し、そこに登場する人になりきることが重要である。石井淳蔵・流通科学大学学長が著した『ビジネス・インサイト』は新しいビジネスモデルが生まれる創造的瞬間に働く知をビジネス・インサイトと呼び、ビジネス・インサイトには対象に棲(す)み込む(内在化する)という機制が不可欠であると説く。
◆◆◆ ◆◆◆
中内功氏が京阪沿線の千林駅前(大阪)に開店したダイエーの1号店は、それまで何の商売をしてもうまくいかない狭い場所であった。薬の安売りを目指したが、やはりうまくいかず、顧客の意見から駄菓子を置いた。当時、駄菓子は量り売りで、顧客は味見して購入を決める。顧客は午後の遅い時間に集中するため、客は待たされる効率が悪い。
彼は、暇な時間に駄菓子を半透明のビニール袋に詰め、それをあらかじめ積み上げておいて売るという「プリパッケージ」と「セルフサービス」を思いつく。さらに「もし味に不満があれば、袋とレシートを持ってきてください。そっくり全額返します」と張り出した。このやり方が大阪の消費者の心をとらえ、大成功を収めた。こうしたビジネス・インサイトは、対象に棲み込むという機制を通じて発揮されると石井氏は断ずる。
対象に棲み込むのは、日本人の得意分野だ。安西徹雄・上智大学名誉教授の『英語の発想』は英語と日本語の翻訳作業の分析を通して、日本語と英語の根本的な発想・認識パターンの違いを鮮明に浮かび上がらせた。英語は状況をとらえるのに、〈もの〉の動作主性に着目し、因果律的に解析し概念化していく傾向が強い。一方日本語は、状況をまるごと〈こと〉としてとらえ、その〈こと〉と人間のかかわり方を、人間の視点に密着してとらえる。
日本語の表現は決定的に主観的であり、聞き手はたえず話し手の気持ちに共感し、その場面を追体験しながら聞くことによって、はじめて文の内容を感じ取るのである。日本語のコミュニケーションは、このように共感型であり、状況埋没型である。この日本語の発想の特徴は、日本人がイノベーションを生み出してもいいはずだ。残念だが、日本にはイノベーションの芽を摘み取るメカニズムも存在している。「そんなことはすでに試してみた」「そんなことはやったことがない」「ここではそんなふうにはしない」などは、アイデアを殺すセリフである。習慣・既成概念、自信喪失、臆病等が独創力をはばむことも知られている。イノベーションをはぐくむ環境を整えることも重要だろう。
◆◆◆ ◆◆◆
イノベーションが生み出される環境を整えること、イノベーションを生み出すトレーニングを積むことの重要性に世界は気づき始めている。機能的で遊び心に満ちた製品を開発し続け、世界中の注目を集めている米国のデザインコンサルタント会社のIDEOでは、イノベーションを生み出す手法をデザイン思考と呼ぶ。イノベーションは人間観察から生まれる、ホットなチームをつくる、究極のブレーンストーミング術、迅速なプロトタイプ製作、「温室」のようなオフィス、楽しい経験を提供する、これらがIDEOの成功の秘訣である。
デザイン思考は大学院教育の中にも浸透し始めている。米ビジネスウィーク誌の2005年8月1日号で、「明日のビジネススクールは、デザインスクールかもしれない」と題する特別リポートが掲載され、米スタンフォード大学、米イリノイ工科大学などの新たな取り組みが紹介された。このトレンドに大きな変化はなく、むしろ勢いを増しつつあるように見える。
「日本らしさの追求」を進めて、世界中から称賛される日本発の優れたモノやコトを生み出すには、日本社会にイノベーションの生まれる環境を整える必要がある。今年9月に東京大学知の構造化センターの実施する教育プログラム、iスクールが立ち上がるのもそうした狙いからだ。社会問題をイノベーションの機会とすべく、新しいリーダーシップの育成やクリエーティブ思考のための知の構造化を進める。ここで培われたイノベーションを生み出す能力がそれぞれの分野でいかされ、やがて、新しいアイデア、新しい製品、新しいビジネスモデル、新しい社会システムを次々と生み出し、日本社会を変革することを期待したい。
IDEOゼネラルマネジャーのトム・ケリー氏の著書、「発想する会社!」によれば、誰もが独創的な部分をもち、それを刺激するような社風を開花させられるという。誰でも独創性を発揮した時に楽しさや幸福を感じる。イノベーションを生み出す環境を整えた社会は、構成員誰もが楽しく、幸福な社会だ。世界中から称賛されるイノベーティブなモノやコトを生み出し続ける国を目指すべきである。
【イノベーションの類型】(新聞に掲載された図を文字にて解説する)
先ず田んぼの“田”の字の形にグラフを描く。
縦軸を生活者志向として、上側が高く、下側が低いとする。
横軸を技術志向として、左側が低く、右側が高いとする。
“田”の字で仕切られた4つの領域は次の特徴を有する。
(P:生活者志向、T:技術志向、H:高い、L:低い)
①PH-TL
②PH-TH
③PL-TL
④PL-TH
それぞれの領域に最近のヒット商品をプロットしてみる。
・人間中心イノベーション
①PH-TL: iPod、Wii、
②PH-TH: SUICA
・技術中心イノベーション
②PH-TH: スカイプ
④PL-TH: プリウス、セグウェイ
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堀井秀之(ほりい・ひでゆき)
58年生まれ。東大工卒、ノースウエスタン大博士。
専門は社会技術論、安全安心研究
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「日本型イノベーション」のあり方――生活者の感性 呼び起こせ
堀井秀之・東京大学教授
【「経済教室」09.08.18日経新聞(朝刊)】
(ポイント)
・「イノベーション=技術革新」の誤解とけ
・人間中心のイノベーションで日本は優位
・「デザイン思考」重視し、日本らしさ追及を
「技術中心」から脱却を――価値観や社会の変化誘導
日本の電気メーカーは、液晶テレビのコマーシャルで薄さを売りにしている。だが、消費者がテレビを選ぶときに世界で最も薄いことが決め手になるのだろうか。イノベーションを辞書で引くと、「(新機軸・刷新・革新の意)生産技術の革新に限らず、新商品の導入、新市場または新資源の開拓、新しい経営組織の実施などを含めた概念」とある。ただ、わざわざ「わが国では技術革新という狭い意味に用いる」という解説が加わっている。ここに問題の本質があるように思われる。
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イノベーションの概念を導入したシュンペーターは、新しい発明なしにもイノベーションが生じると強調した。しかし、日本が技術開発を得意とするがゆえに、イノベーションを技術革新という狭い意味でしか用いていないケースが多い。激しい技術開発競争のなかで、技術目標の達成に専念するあまり、いつしか手段は目的となった。価値の創造が目的であるのに、価値創造の手段である技術開発が目的となってしまったのだ。
イノベーションの本来の意味に立ち返り、どんな方向を目指すべきなのだろうか。それには、技術中心主義を改め、生活者に照準を定めることが重要だろう。生活者が潜在的に何を求めているかを感知し、「ああ、私はこういうものを求めていたのだ」と思わせるようなモノやサービスを提供できるようにすることが課題になるのだ。
これに対処する上で、「人間中心イノベーション」という考え方が重要となる。人間中心イノベーションとは、人々は生活や価値観を深く洞察し、新製品やサービス、ビジネスモデル、社会システムなどを生み出していくことで、人々のライフスタイルや価値観の変化を誘導するものだ。
日本人の感性に基づく優れたモノやコトを次々に生み出していくこと、すなわち「日本らしさの追求」こそが、日本が追い求めるべき戦略である。この点で、日本人に独創性がないというのは大きな誤解であり、世界が称賛する「クールジャパン」に象徴されるように、日本人は人間中心イノベーションを生み出す能力に長(た)けている。
人間中心イノベーションを生み出すためには、注目する状況に没入し、そこに登場する人になりきることが重要である。石井淳蔵・流通科学大学学長が著した『ビジネス・インサイト』は新しいビジネスモデルが生まれる創造的瞬間に働く知をビジネス・インサイトと呼び、ビジネス・インサイトには対象に棲(す)み込む(内在化する)という機制が不可欠であると説く。
◆◆◆ ◆◆◆
中内功氏が京阪沿線の千林駅前(大阪)に開店したダイエーの1号店は、それまで何の商売をしてもうまくいかない狭い場所であった。薬の安売りを目指したが、やはりうまくいかず、顧客の意見から駄菓子を置いた。当時、駄菓子は量り売りで、顧客は味見して購入を決める。顧客は午後の遅い時間に集中するため、客は待たされる効率が悪い。
彼は、暇な時間に駄菓子を半透明のビニール袋に詰め、それをあらかじめ積み上げておいて売るという「プリパッケージ」と「セルフサービス」を思いつく。さらに「もし味に不満があれば、袋とレシートを持ってきてください。そっくり全額返します」と張り出した。このやり方が大阪の消費者の心をとらえ、大成功を収めた。こうしたビジネス・インサイトは、対象に棲み込むという機制を通じて発揮されると石井氏は断ずる。
対象に棲み込むのは、日本人の得意分野だ。安西徹雄・上智大学名誉教授の『英語の発想』は英語と日本語の翻訳作業の分析を通して、日本語と英語の根本的な発想・認識パターンの違いを鮮明に浮かび上がらせた。英語は状況をとらえるのに、〈もの〉の動作主性に着目し、因果律的に解析し概念化していく傾向が強い。一方日本語は、状況をまるごと〈こと〉としてとらえ、その〈こと〉と人間のかかわり方を、人間の視点に密着してとらえる。
日本語の表現は決定的に主観的であり、聞き手はたえず話し手の気持ちに共感し、その場面を追体験しながら聞くことによって、はじめて文の内容を感じ取るのである。日本語のコミュニケーションは、このように共感型であり、状況埋没型である。この日本語の発想の特徴は、日本人がイノベーションを生み出してもいいはずだ。残念だが、日本にはイノベーションの芽を摘み取るメカニズムも存在している。「そんなことはすでに試してみた」「そんなことはやったことがない」「ここではそんなふうにはしない」などは、アイデアを殺すセリフである。習慣・既成概念、自信喪失、臆病等が独創力をはばむことも知られている。イノベーションをはぐくむ環境を整えることも重要だろう。
◆◆◆ ◆◆◆
イノベーションが生み出される環境を整えること、イノベーションを生み出すトレーニングを積むことの重要性に世界は気づき始めている。機能的で遊び心に満ちた製品を開発し続け、世界中の注目を集めている米国のデザインコンサルタント会社のIDEOでは、イノベーションを生み出す手法をデザイン思考と呼ぶ。イノベーションは人間観察から生まれる、ホットなチームをつくる、究極のブレーンストーミング術、迅速なプロトタイプ製作、「温室」のようなオフィス、楽しい経験を提供する、これらがIDEOの成功の秘訣である。
デザイン思考は大学院教育の中にも浸透し始めている。米ビジネスウィーク誌の2005年8月1日号で、「明日のビジネススクールは、デザインスクールかもしれない」と題する特別リポートが掲載され、米スタンフォード大学、米イリノイ工科大学などの新たな取り組みが紹介された。このトレンドに大きな変化はなく、むしろ勢いを増しつつあるように見える。
「日本らしさの追求」を進めて、世界中から称賛される日本発の優れたモノやコトを生み出すには、日本社会にイノベーションの生まれる環境を整える必要がある。今年9月に東京大学知の構造化センターの実施する教育プログラム、iスクールが立ち上がるのもそうした狙いからだ。社会問題をイノベーションの機会とすべく、新しいリーダーシップの育成やクリエーティブ思考のための知の構造化を進める。ここで培われたイノベーションを生み出す能力がそれぞれの分野でいかされ、やがて、新しいアイデア、新しい製品、新しいビジネスモデル、新しい社会システムを次々と生み出し、日本社会を変革することを期待したい。
IDEOゼネラルマネジャーのトム・ケリー氏の著書、「発想する会社!」によれば、誰もが独創的な部分をもち、それを刺激するような社風を開花させられるという。誰でも独創性を発揮した時に楽しさや幸福を感じる。イノベーションを生み出す環境を整えた社会は、構成員誰もが楽しく、幸福な社会だ。世界中から称賛されるイノベーティブなモノやコトを生み出し続ける国を目指すべきである。
【イノベーションの類型】(新聞に掲載された図を文字にて解説する)
先ず田んぼの“田”の字の形にグラフを描く。
縦軸を生活者志向として、上側が高く、下側が低いとする。
横軸を技術志向として、左側が低く、右側が高いとする。
“田”の字で仕切られた4つの領域は次の特徴を有する。
(P:生活者志向、T:技術志向、H:高い、L:低い)
①PH-TL
②PH-TH
③PL-TL
④PL-TH
それぞれの領域に最近のヒット商品をプロットしてみる。
・人間中心イノベーション
①PH-TL: iPod、Wii、
②PH-TH: SUICA
・技術中心イノベーション
②PH-TH: スカイプ
④PL-TH: プリウス、セグウェイ
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堀井秀之(ほりい・ひでゆき)
58年生まれ。東大工卒、ノースウエスタン大博士。
専門は社会技術論、安全安心研究
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