私の友人の曹洞宗のお坊さんで、香川県高松市で非行少年や少女の世話をする『喝破道場という施設をつくって活動している野田大燈という人がいます。仕事の関係で県警の刑事とも親しくなり、あるときその刑事からこう聞かれたのだそうです。 . . . 本文を読む
世界のあちこちの映画祭で、フェリーニやスコセッシ、アンゲロプロス、ミハルコフ、ルーカス、コッポラにスピルバーグらの監督たちと顔をあわせることがしばしばだったが、同業者どうし、ついつい愚痴をこぼし合う。 . . . 本文を読む
ここでいう「妄想」とは、いわゆる「誇大妄想」の妄想とはちょっとちがいます。禅では、あれかこれかという相対論、二元論を非常に嫌いますが、この相対的なものの考え方を妄想というのです。生死、愛憎、美醜、善悪、貧富といった二元対立は、必ずそこに選択的な心が働き、選り好みが出てきます。どちらかを好み、一方を嫌う思いが生じます。つまり、どちらかに執着するようになるのです。 . . . 本文を読む
明治になって近代軍隊が作られたとき、脚気が大問題になった。実際、明治16年にニュージーランドを目指した軍艦・龍驤(りゅうじょう)では、272日の航海中、169人の脚気患者を出し、23人が死亡するということがあった。このときの乗組員は総勢378名であったから、じつに半数近くが脚気に冒されたのである。 . . . 本文を読む
海に出て舵(かじ)を持たせてもらい、叔父に「今日はワレ(お前)、好きなところに行け」と言われると、一人前の気分になりました。漁師も競争の世界。船の大きさはほぼ同じ、一斉出漁でも、港に戻って来た時の漁獲は違う。体力以上に、潮時や場所を見極める能力の差が出ます。 . . . 本文を読む
組織委員会発表の各種標語によると、オリンピック・パラリンピックの開会式と閉会式の共通コンセプトは「Moving Forward」でした。それぞれの式典のコンセプトとしては、開会式は「United by Emotion」、閉会式は「Worlds we share」と名付けられ、さらに大会の基本コンセプトは「ダイバーシティ&インクルージョン(多様性と調和)」であると宣伝されました。そもそも、日本で行われるオリンピックのコンセプトが英語表記のみというのも奇異に思いますが、これら3つの標語から中学生の運動会のような幼稚さが感じられます。 . . . 本文を読む
帰還支援運動元支援会会長の新井佐和子氏は、「サハリンの同胞たちはソ連に抑留されているとの意識で、日本の戦後補償問題とは考えていなかった。だが、高木氏らはこれを安保闘争の延長の反政府運動として利用し、韓国人の帰る自由を奪ったのは日本、帰国させる責任も日本にあるとした」(「産経新聞」2010年8月13日付)と述べています。 . . . 本文を読む
「女性は優れているので、欠員がでたら必ず(後任に)女性を選ぶ」という話を、前段の「女性が沢山(たくさん)入っている会議は時間がかかる」との部分を抜き取られ、凄(すさ)まじいメディアリンチに遭ったのだ。公的、私的を問わず女性尊重の本人や家族には青天の霹靂(へきれき)というしかないだろう。朝日新聞のネット記事から始まったこの騒動は日本の新聞史における汚点といえる。 . . . 本文を読む
「泰平の眠りを覚ます蒸気船たった四はいで夜も寝られず」。蒸気船とお茶の上喜撰(じょうきせん)をかけた有名な狂歌である。歴史教科書の教材の定番でもあった。この狂歌が語っていることは、日本は何の前触れもなしに現われた黒船に驚愕(きょうがく)し、夜も眠られないほど周章狼狽(しゅうしょうろうばい)したというもので、日本は未開の遅れた国で、幕府は無能の限りだった、という時代認識を示している。事実はどうであったか。 . . . 本文を読む
フィンランドの独立は、フィンランドがソ連に対して友好を持ちかけたせいではありません。徹底的に抗戦して、ソ連にさんざん手を焼かせ、この国を丸取りすることはできないと肝に銘じさせたからです。抗戦なくして独立なし、これが中立国にとって唯一の道であることは疑いないところです。そして現在のフィンランドが置かれているのは、「平和という名の戦争状態」である、と武田龍夫はあえて念押しに強調しています。 . . . 本文を読む
アジアと太平洋における先の戦争とその戦後処理についての教科書の誇張や歪曲、異常なまでに極端で冷酷な自己罪悪視をめぐっては、これまでにいろいろな方面で考究、論評されてきた。私はそれも結局は教科書執筆者の歴史叙述の姿勢にあると考えている。従って、キーポイントはやはり明治の戦争への彼らの姿勢に尽きる。そこにいちばん端的に、ばかばかしい歪みのいわば「原像」が現われている。 . . . 本文を読む
当時の明人から見た倭寇の特徴は、身軽なことであった。重い鎧を着ていないのだから、防御の弱さを速さで補ったのであろう。伏兵が上手で、明軍の後ろにまわって挟み撃ちし、毎度、少数の軍で大軍を破った。まだ戦闘がはじまらないうちは、三々五々に分散しているが、一人が扇を開いて合図すると、いたるところから伏兵が出てきて統制ある行動に移る。これを蝴蝶(こちょう)軍という、と書いてある。 . . . 本文を読む
天皇が国分寺を作ってお経を上げさせても、そんなことは関係なく、日本じゅうの神社では、春夏秋冬の祭りは厳密に執り行なわれ、しかも、仏教を広めることに熱心だった天皇ご自身も、宮中では、やはり神代以来のしきたりでカミを祀(まつ)っておられ、その祭りをよく行なうことこそ政治の根本という認識は、いささかも揺るいでいなかったのである。 . . . 本文を読む








