その時、西岡が現れた。若者たちを木工場に座らせると、「まあ、お茶を飲みなはれ」と見事な手つきで玉露をふるまった。一服して、皆が落ち着くと話しはじめた。「建物は良い木ばかりでは建たない。北側で育ったアテという、どうしようもない木がある。しかし、日当たりの悪い場所に使うと、何百年も我慢するよい木になる」。玉村信好は、震えた。
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宮本武蔵を指南した沢庵禅師は言う。「花紅葉を見る心は生じながら、そこに止まらぬを栓と致し候。(中略)見るとも聞くとも、一所に心を止めぬを至極とする事にて候」(沢庵『不動智神妙録(ふどうちしんみょうろく)』)。栓とか至極というのは重要事項ということだろう。それでこそ、相手の剣筋も見えるというものだ。 . . . 本文を読む
この「長生殿」は、唐の太宗(たいそう)皇帝が廬山(ろざん)に設けた華清宮(かせいきゅう)の中の宮殿で、のちに玄宗(げんそう)皇帝と楊貴妃がともに連れ立って遊んだ別荘の名として日本人に知られています。「長生殿裏に春秋富む」とは、この長生殿は、春や秋の美観に富む素晴らしいところだ、というような意味に解釈されています。 . . . 本文を読む
わが国の戦史で、もっとも決定的なたたかいのひとつであった須磨の激戦(1184年)のさなか、彼[熊谷次郎直実]は一人の敵に追いつき、一騎打ちを挑み、相手をそのたくましい腕でしっかりと捕えた。さてこのような場合、たたかいの儀礼として、弱い側が強い側と同じ位をもっているか、あるいは同等な能力をもっているかでなければ、一滴の血を流すことも許されない。 . . . 本文を読む
『中庸』という古典に、「誠は天の道なり。之を誠にするは人道なり」という言葉があります。誠とは自分にとっても他人にとっても嘘偽(うそいつわ)りのない心、いわば真心のことです。天には道=ルールがありますが、誠こそが天の道であり、天の道を素直に受けて誠にしていくのが人の道である、と説かれています。 . . . 本文を読む
ソ連による北からの南進と英米資本の南からの北進が、蒋介石の北伐と連動していたのです。中国の経済利権を独占したい英米の金融資本家たちは、北支が日本の影響に入ることを恐れていました。そこで彼らが考え出したウルトラCが、中国の幣制改革と称される、いわば大博打(おおばくち)であったのです。 . . . 本文を読む
日本共産党は国際共産党組織(コミンテルン)の日本支部として設立されたのですから、これは純粋な意味における日本の政党ではありません。国際共産党組織(コミンテルン)は、共産主義の祖国であり根拠地であるソ連の国益を守るための組織ですから、日本共産党はソ連の日本支部であり、すなわちソ連が日本の中に設置した出先機関なのですから、わが国の内部に巣喰うこの癌細胞の活動を停止させる措置は、日本にとっては遅滞を許さない応急の手当てであったこと、言うまでもありません。 . . . 本文を読む
しかし、ここからわれわれの唯一の救いですが、日本人は、実は自分の戦争を本当は忘れていないのではないかと思われる節がある。たいていのことに関してはアメリカに調子を合わせてきた日本が、謝罪問題にだけこだわるのはなぜでしょうか。平成7年夏の戦後50年の国会決議に、おそらく皆さま方のご協力もあってのことかと思いますが、5百万人もの反対署名が集まったのはなぜでしょうか。 . . . 本文を読む
ここに不思議が起こった。義嗣が親王と同じ儀式で元服した翌々日に、義満は、急に発病したのである。急に咳が出はじめたという。義嗣の元服式が4月25日、義満の発病が4月27日、そして5月3日には再びよくなったが、2、3日後に病状が急転し、5月6日には死んだのである。歳は51で、それほどの高齢ではない。 . . . 本文を読む
敏達天皇が疫病で亡くなられると、その異母弟であり、また妃の同母兄である用明天皇が即位なさることになる。この天皇の御母(おんはは)は稲目の娘の堅塩姫(きたしひめ)で仏教信者であり、天皇もまた「仏法ヲ信ジ神道ヲ尊ブ」と『日本書紀』に書いてある。つまり仏教が正式に日本に渡来したのは第二十九代欽明天皇の御代(みよ)であり、それが後宮に入ったのは第三十代敏達天皇の御代であり、天皇ご自身が信者になられたのは第三十一代用明天皇からである。 . . . 本文を読む
天下に最も多きものは何か、と太閤(たいこう)秀吉が聞いた。それは、人、でござります、と曽呂利新左衛門(そろりしんざえもん)が答えた。反射神経の鋭い秀吉がすぐ畳みかけて、では天下に最も少なきものはなにか、と聞いた。すると打てば響くように、それは、人、でござります、と新左衛門が答えた。 . . . 本文を読む
不幸なことだが、世の中には大らかな気持ちを持てない人が多い。他人をあざ笑うことしか知らない人間ほど不愉快なものはない。こういった人たちは、どんな立派な業績であれ、他人の成功を腹立たしく思うことが多いのである。人がほめられているのを聞くのは耐えられない。相手が自分と同じ道を志していたり、同じ職業であったりすればなおさらである。人のあやまちは許せても、他人が自分を追い越して何かをするのは我慢がならない。そして挫折した時、自分が今までこっぴどく他人をけなしていたことをはっきり悟るのである。 . . . 本文を読む








