20年に及ぶブログ活動の集大成 → <a href=https://blog.goo.ne.jp/chorinkai/e/3d8eb22fad45ce7b19d6a60e8a70b7e7" target="_blank">★仏様の指
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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■緊急拡散宜しく『選択的夫婦別姓は戸籍廃止を策した反日勢力の亡国法案です』【「水間条項」国益最前線ブログ】
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1931(昭和6)年に4度目の大蔵大臣に就任した高橋是清は、翌年1932年11月に日本銀行による国債の直接引き受けを開始する。この頃、世界恐慌の嵐が吹き荒れていたが、いわゆる「高橋財政」により日本における景気回復を成し遂げた人物だ。
◆高橋是清は世界的にはケインズより評価されている
『日本を救う最強の経済論』
( 高橋洋一、 扶桑社 (2017/9/2)、p16 )
本書を論じていく上での重要な視点として、高橋是清が第二次世界大戦前の世界恐慌時代に採った経済金融政策がある。
高橋是清という政治家は、生没年は1854(嘉永7)年~1936(昭和11)年で、大正から昭和にかけて首相、大蔵大臣として活躍していた。1936年の2・26事件において、青年将校に銃撃され暗殺された(享年82歳)。
1931(昭和6)年に4度目の大蔵大臣に就任した高橋是清は、翌年1932年11月に日本銀行による国債の直接引き受けを開始する。この頃、世界恐慌の嵐が吹き荒れていたが、いわゆる「高橋財政」により日本における景気回復を成し遂げた人物だ。
本書の後半にも出てくるが、この「国債の直接引き受け」というのは政府が発行した国債を日銀が買い取ることで、市中に出回るお金を増やすことだ。その結果、金利が下がり円安になる。一種の金融緩和政策と言えるが、現状において財政法第5条では例外的な状況を除いて日銀の国債引き受けは「禁じ手」とされており、やってはならない経済政策ということで一般に理解されている。
高橋是清はこの日銀引き受けをしたので、インフレ率が100%を超えるようなハイパーインフレが起きて狂乱物価に国民が苦しんだと言われているのだが、果たしてそうだったのか。
当時の東京卸売物価指数によれば、高橋是清が日銀引き受けをする1932年のインフレ率は11.5%、1934年2.0%、1935年2.6%、1936年4.2%というように、当時としてはそれほど高いインフレ率ではなかったと、まして、悪性インフレとはとても言えない。
こうした事実に反することが、今でも政治家やマスコミ人などの少なくない人びとに信じられている。
日本が極度の悪性インフレになったのは戦後すぐのことで、戦前の世界恐慌と混同して認識されているのだろう。戦後すぐの悪性インフレも、日銀引き受けが原因ではなかった。財政政策と金融政策のフル活動によって、日本経済をデフレからいち早く脱出させたという点で、世界的な経済学者・ジョン・メナード・ケインズより先に大恐慌脱出策を実施した高橋財政は、むしろ海外では高く評価されている。
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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1931(昭和6)年に4度目の大蔵大臣に就任した高橋是清は、翌年1932年11月に日本銀行による国債の直接引き受けを開始する。この頃、世界恐慌の嵐が吹き荒れていたが、いわゆる「高橋財政」により日本における景気回復を成し遂げた人物だ。
◆高橋是清は世界的にはケインズより評価されている
『日本を救う最強の経済論』
( 高橋洋一、 扶桑社 (2017/9/2)、p16 )
本書を論じていく上での重要な視点として、高橋是清が第二次世界大戦前の世界恐慌時代に採った経済金融政策がある。
高橋是清という政治家は、生没年は1854(嘉永7)年~1936(昭和11)年で、大正から昭和にかけて首相、大蔵大臣として活躍していた。1936年の2・26事件において、青年将校に銃撃され暗殺された(享年82歳)。
1931(昭和6)年に4度目の大蔵大臣に就任した高橋是清は、翌年1932年11月に日本銀行による国債の直接引き受けを開始する。この頃、世界恐慌の嵐が吹き荒れていたが、いわゆる「高橋財政」により日本における景気回復を成し遂げた人物だ。
本書の後半にも出てくるが、この「国債の直接引き受け」というのは政府が発行した国債を日銀が買い取ることで、市中に出回るお金を増やすことだ。その結果、金利が下がり円安になる。一種の金融緩和政策と言えるが、現状において財政法第5条では例外的な状況を除いて日銀の国債引き受けは「禁じ手」とされており、やってはならない経済政策ということで一般に理解されている。
高橋是清はこの日銀引き受けをしたので、インフレ率が100%を超えるようなハイパーインフレが起きて狂乱物価に国民が苦しんだと言われているのだが、果たしてそうだったのか。
当時の東京卸売物価指数によれば、高橋是清が日銀引き受けをする1932年のインフレ率は11.5%、1934年2.0%、1935年2.6%、1936年4.2%というように、当時としてはそれほど高いインフレ率ではなかったと、まして、悪性インフレとはとても言えない。
こうした事実に反することが、今でも政治家やマスコミ人などの少なくない人びとに信じられている。
日本が極度の悪性インフレになったのは戦後すぐのことで、戦前の世界恐慌と混同して認識されているのだろう。戦後すぐの悪性インフレも、日銀引き受けが原因ではなかった。財政政策と金融政策のフル活動によって、日本経済をデフレからいち早く脱出させたという点で、世界的な経済学者・ジョン・メナード・ケインズより先に大恐慌脱出策を実施した高橋財政は、むしろ海外では高く評価されている。








