メモ。おいしそうです。
新聞記事から。
☆
《初代王者は富士宮やきそば 「B-1グランプリ」閉幕》
青森県八戸市で開かれていた全国的な知名度はないものの、地元で愛され続けているご当地のB級料理の王座を決める「B-1グランプリ」最終日の19日、入場者の投票の結果、初代王者に「富士宮やきそば」(静岡県富士宮市)が輝いた。
グランプリは入場者が、使ったはしを気に入った料理に投票し、はしの重さで決定。2695グラムを獲得した富士宮やきそばが、2位の「横手やきそば」(秋田県横手市)に40グラムのわずかな差で競り勝った。3位は「室蘭焼きとり」(北海道室蘭市)。
出品した「富士宮やきそば学会」には「金のはしトロフィー」が贈られ、来年のグランプリ開催権が与えられた。
(共同通信) - 2月19日20時30分更新
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060219-00000115-kyodo-soci
☆
富士宮やきそば学会
http://www.umya-yakisoba.com/
「『富士宮やきそば』はふじのみや本舗の登録商標です。」
富士宮やきそばは、一般的に販売されている柔らかいやきそば麺とは違いコシのある麺が特徴です。
最初は、「なんだこのいつもと違う麺は」と感じた人も2度、3度と食べるうちに、コシのある麺の触感と独特の味付けが忘れられなくなります。
市内には、それぞれ味にこだわりをもったたくさんのやきそば店があります。
どうぞ、富士宮やきそばをお楽しみください。
<富士宮やきそばの麺の特徴>
小麦粉と水で練って麺を蒸した後、一般的な製法ではもう一度ボイルするが、富士宮の麺は強制的に冷やし、油で表面をコーティングします。そのため、水分が他の麺に比べ少なく、コシのある麺ができ、食感に違いがでます。なぜこのような麺ができたかは定かでないが、冷蔵庫などの保存方法が普及していない時代に、富士宮に数多くあったやきそば店からの要求に応え、日持ちするやきそばの製法が確立したと言われています。
<調理方法、12の特徴>
1.市内にある3つの製麺業者の富士宮流やきそば蒸し麺を使用している。
2.炒めるための油としては、ラードを用いる。(天然素材の植物油を使う店もある)
3.やきそばに加えるのが、ラードを絞った後の「肉かす」(一般的には、「肉」「天かす」など)
4.振りかけるのは、イワシの「削り粉(だし粉)」(一般的には、カツオの「削り節」など)
5.キャベツは、富士宮の高原キャベツ。それも、水分が少なく歯ごたえのよい「秋キャベツ」が良とされる。(キャベツ以外にネギやもやしを入れる店もある。ネギが入っているのは、昔風)
6.ソースの味や量については、各店でのこだわりがある。辛口ソースの店が多い。(数種類をミックスして独自の味を出している店が多く、その内容は企業秘密)
7.添えるものは、紅ショウガが多いが、これも店それぞれ。
8.トッピングは、タコ、エビ、卵、肉、ホルモンなど各店で工夫しており、好みに応じて対応
9.水は、富士山の湧水を用いる。調理の際の水加減が、コシの強さの重要なポイントである。
10.厚くて大きい鉄板を用い、火力が強くなければおいしくない。
11.焼き方は、店の主人が焼いて出す店、客が焼く店、どちらも可というところがある。初めての人は、焼いてもらうことをおすすめ。
12.食べ方は、鉄板で焼いたやきそばを皿に盛って出すところもあるが、熱い鉄板で温めながら直接食べるのが一番おいしい、と言う人もいますが、これは好き好き!
以上の調理方法を基本に各店毎に、味付け、焼き方、トッピングなど工夫している。
<なぜ富士宮市は「やきそば屋」が多いのか>
そもそもは、やきそば屋と言っても、お好み焼き屋のことであり、古くは洋食屋と呼ばれ、駄菓子屋の一角に鉄板を設け、お好み焼きを焼いていた店のことである。
かつて、富士宮市は大正、昭和時代の初期、表富士登山口として登山客が多く、そのため旅館等が数多くあり、浅間大社を中心にまちなかが賑わっていた。
また、オーミケンシをはじめとした製糸業が発展していたことから、そこで働く若い女性や従業員なども多く、まちなかが交流の場としても賑わっていた。
お好み焼きは、そうしたまちなかの駄菓子屋の一角などで始められ、安価で、手頃な食べ物として子供や製糸業で働く女工さんたちに好まれ、ソース味が珍しかったことからお好み焼きを出す店は「洋食屋」と呼ばれ親しまれてきた。
戦後になり、中国に赴いていた人達が帰還し、中国で味わった忘れることのできない味の麺類を見様見真似で開発し、その一つがやきそばであった。戦後の食糧不足の時代でも、野菜があれば少量の小麦粉でできるやきそばは市民に手頃な食としてもてはやされ、洋食屋では、お好み焼きのほか、やきそば、焼きうどんなども始め、まちかどのいたるところに店が立ち並び、市民生活の中に根付いてきた。
<どうして富士宮だけ独特の「やきそば」か>
戦後、富士宮市の商店街には山梨県の身延線沿いの人たちが、買出しに来て賑わっていた。彼らは、手ごろであるやきそばを好み、地元に持ち帰っていた。
そうした人たちや「洋食屋」のために、当時、冷蔵庫などがなかったことから、製麺会社はなるべく日持ちがする麺を思考し、極力水分を除くことができる蒸麺製法を考案した。
そして、その蒸し麺は、水分が少なく硬いことから、調理する際に、鉄板の上で水を加えたりキャベツの水分で柔らかくする焼き方が考案され、更に、肉かすやだし粉などを入れ、旨味などが工夫されてきた。こうして、製麺会社や洋食屋の思考錯誤の末、富士宮独特の腰があり、硬めのやきそばが出来あがり、市民生活に定着していくこととなった。
一方、全国的には、大手の食品メーカーが柔らかい茹で麺のやきそばを全国展開し、一般に普及していったが、富士宮では、既に固めのやきそばが市民に定着していたことから、やわらかいやきそばは、あまり市民に受け入れられなかった。こうした経緯により、現在まで富士宮地域においては独自のやきそばとして市民にこの上なく愛され、富士宮の食文化として築かれてきた。
この富士宮独特のやきそばは、余りにも日常的に市民の食文化として根付いてきたことから、やきそばは全国一律に同じものと解され、富士宮独特であることに気づかないでいた。あるいは気づいても、富士宮のやきそばはおいしいと思う程度の認識であったことから、その違いを殊更うんぬんする機会もなかったのが実情であった。
それが、中心市街地活性化の市民ワークショップに集った参加者により、まちおこしの一環として「富士宮やきそば学会」が誕生し、マスコミから大きく注目され、やきそば大ブレークの発端となっていった。あるマスコミの記者は、取材していくうちに、富士宮はガラパゴス諸島と似ていると地域固有の食文化を表現していたことが、言い得て妙である。
(後略)
新聞記事から。
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《初代王者は富士宮やきそば 「B-1グランプリ」閉幕》
青森県八戸市で開かれていた全国的な知名度はないものの、地元で愛され続けているご当地のB級料理の王座を決める「B-1グランプリ」最終日の19日、入場者の投票の結果、初代王者に「富士宮やきそば」(静岡県富士宮市)が輝いた。
グランプリは入場者が、使ったはしを気に入った料理に投票し、はしの重さで決定。2695グラムを獲得した富士宮やきそばが、2位の「横手やきそば」(秋田県横手市)に40グラムのわずかな差で競り勝った。3位は「室蘭焼きとり」(北海道室蘭市)。
出品した「富士宮やきそば学会」には「金のはしトロフィー」が贈られ、来年のグランプリ開催権が与えられた。
(共同通信) - 2月19日20時30分更新
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060219-00000115-kyodo-soci
☆
富士宮やきそば学会
http://www.umya-yakisoba.com/
「『富士宮やきそば』はふじのみや本舗の登録商標です。」
富士宮やきそばは、一般的に販売されている柔らかいやきそば麺とは違いコシのある麺が特徴です。
最初は、「なんだこのいつもと違う麺は」と感じた人も2度、3度と食べるうちに、コシのある麺の触感と独特の味付けが忘れられなくなります。
市内には、それぞれ味にこだわりをもったたくさんのやきそば店があります。
どうぞ、富士宮やきそばをお楽しみください。
<富士宮やきそばの麺の特徴>
小麦粉と水で練って麺を蒸した後、一般的な製法ではもう一度ボイルするが、富士宮の麺は強制的に冷やし、油で表面をコーティングします。そのため、水分が他の麺に比べ少なく、コシのある麺ができ、食感に違いがでます。なぜこのような麺ができたかは定かでないが、冷蔵庫などの保存方法が普及していない時代に、富士宮に数多くあったやきそば店からの要求に応え、日持ちするやきそばの製法が確立したと言われています。
<調理方法、12の特徴>
1.市内にある3つの製麺業者の富士宮流やきそば蒸し麺を使用している。
2.炒めるための油としては、ラードを用いる。(天然素材の植物油を使う店もある)
3.やきそばに加えるのが、ラードを絞った後の「肉かす」(一般的には、「肉」「天かす」など)
4.振りかけるのは、イワシの「削り粉(だし粉)」(一般的には、カツオの「削り節」など)
5.キャベツは、富士宮の高原キャベツ。それも、水分が少なく歯ごたえのよい「秋キャベツ」が良とされる。(キャベツ以外にネギやもやしを入れる店もある。ネギが入っているのは、昔風)
6.ソースの味や量については、各店でのこだわりがある。辛口ソースの店が多い。(数種類をミックスして独自の味を出している店が多く、その内容は企業秘密)
7.添えるものは、紅ショウガが多いが、これも店それぞれ。
8.トッピングは、タコ、エビ、卵、肉、ホルモンなど各店で工夫しており、好みに応じて対応
9.水は、富士山の湧水を用いる。調理の際の水加減が、コシの強さの重要なポイントである。
10.厚くて大きい鉄板を用い、火力が強くなければおいしくない。
11.焼き方は、店の主人が焼いて出す店、客が焼く店、どちらも可というところがある。初めての人は、焼いてもらうことをおすすめ。
12.食べ方は、鉄板で焼いたやきそばを皿に盛って出すところもあるが、熱い鉄板で温めながら直接食べるのが一番おいしい、と言う人もいますが、これは好き好き!
以上の調理方法を基本に各店毎に、味付け、焼き方、トッピングなど工夫している。
<なぜ富士宮市は「やきそば屋」が多いのか>
そもそもは、やきそば屋と言っても、お好み焼き屋のことであり、古くは洋食屋と呼ばれ、駄菓子屋の一角に鉄板を設け、お好み焼きを焼いていた店のことである。
かつて、富士宮市は大正、昭和時代の初期、表富士登山口として登山客が多く、そのため旅館等が数多くあり、浅間大社を中心にまちなかが賑わっていた。
また、オーミケンシをはじめとした製糸業が発展していたことから、そこで働く若い女性や従業員なども多く、まちなかが交流の場としても賑わっていた。
お好み焼きは、そうしたまちなかの駄菓子屋の一角などで始められ、安価で、手頃な食べ物として子供や製糸業で働く女工さんたちに好まれ、ソース味が珍しかったことからお好み焼きを出す店は「洋食屋」と呼ばれ親しまれてきた。
戦後になり、中国に赴いていた人達が帰還し、中国で味わった忘れることのできない味の麺類を見様見真似で開発し、その一つがやきそばであった。戦後の食糧不足の時代でも、野菜があれば少量の小麦粉でできるやきそばは市民に手頃な食としてもてはやされ、洋食屋では、お好み焼きのほか、やきそば、焼きうどんなども始め、まちかどのいたるところに店が立ち並び、市民生活の中に根付いてきた。
<どうして富士宮だけ独特の「やきそば」か>
戦後、富士宮市の商店街には山梨県の身延線沿いの人たちが、買出しに来て賑わっていた。彼らは、手ごろであるやきそばを好み、地元に持ち帰っていた。
そうした人たちや「洋食屋」のために、当時、冷蔵庫などがなかったことから、製麺会社はなるべく日持ちがする麺を思考し、極力水分を除くことができる蒸麺製法を考案した。
そして、その蒸し麺は、水分が少なく硬いことから、調理する際に、鉄板の上で水を加えたりキャベツの水分で柔らかくする焼き方が考案され、更に、肉かすやだし粉などを入れ、旨味などが工夫されてきた。こうして、製麺会社や洋食屋の思考錯誤の末、富士宮独特の腰があり、硬めのやきそばが出来あがり、市民生活に定着していくこととなった。
一方、全国的には、大手の食品メーカーが柔らかい茹で麺のやきそばを全国展開し、一般に普及していったが、富士宮では、既に固めのやきそばが市民に定着していたことから、やわらかいやきそばは、あまり市民に受け入れられなかった。こうした経緯により、現在まで富士宮地域においては独自のやきそばとして市民にこの上なく愛され、富士宮の食文化として築かれてきた。
この富士宮独特のやきそばは、余りにも日常的に市民の食文化として根付いてきたことから、やきそばは全国一律に同じものと解され、富士宮独特であることに気づかないでいた。あるいは気づいても、富士宮のやきそばはおいしいと思う程度の認識であったことから、その違いを殊更うんぬんする機会もなかったのが実情であった。
それが、中心市街地活性化の市民ワークショップに集った参加者により、まちおこしの一環として「富士宮やきそば学会」が誕生し、マスコミから大きく注目され、やきそば大ブレークの発端となっていった。あるマスコミの記者は、取材していくうちに、富士宮はガラパゴス諸島と似ていると地域固有の食文化を表現していたことが、言い得て妙である。
(後略)