昨晩のテレビ東京の水バラ〈長野群馬初夏の高原リゾートぐるり一周250キロ対決旅〉。前回圧倒的勝利のディフェンディングチャンピオンチームであるチーム春日の鳥谷さんが今回もチーム春日の頭脳として緻密かつ大胆な情報収集分析で素晴らしい活躍をされていた。そういえば、2004年3月25日の早稲田戸山キャンパスの記念会堂で行われた卒業式の壇上で、白井総長から小野梓賞を授与される鳥谷さんを、ステージ下の学生席からたしか見た覚えがあるのだが、私が何故そこにいたのか、今更ながらその理由をよく覚えていない。自分の卒業式ではなかったはずなので、なにか仕事関係で行ったのかもしれないが、自分はいったい何をしに行ったのだろう。。。
NHK交響楽団演奏会のラジオ生中継がラジオ録音放送に変わってから、演奏会のラジオ放送日時がよくわからなくなった。それまではこまめに生中継を予約録音して聴いていたが、最近はさっぱりできていない。番組を聴けなくなると、NHK交響楽団演奏会への興味も徐々に失せていく感じになってしまう。しみじみと、我ながら寂しいことだと感じる。ところで、非常にマニアックな話ながら、青山豊後長正の第二子、伊豆俊次の後半生が、やはりどうしても謎に思われて仕方がない。能登の流刑地で亡くなったのは本当に青山伊豆俊次だったのだろうか。また、青山豊後長正の子ども(第二子?第三子?)でありながら外祖父山崎長徳の養子になり、のちに大聖寺藩士となった山崎庄兵衛長鏡という人物も大きな謎である。不思議な運命の巡り合わせが働いて、結局、長鏡の直系の息子や孫たちは、のちに加賀藩士青山吉次家、山崎庄兵衛家、大聖寺藩士山崎権丞家、山崎図書家のそれぞれの跡継ぎとなって血を繋いでいっている。あの俊次がじつは長鏡になったのではとのひそかな疑い疑問は、やはりどうしてもなぜだか、私の胸のなかで消えていってはくれない。そんな話、荒唐無稽で馬鹿げていると言われてしまうかもしれぬも、いつまでもいつまでもざわざわざわ胸奥で騒いで止まぬ。この題材、いつか機会があったらなにかの物語として書いてみたい。