カームラサンの奥之院興廃記

好きな音楽のこと、惹かれる短歌のことなどを、気の向くままに綴っていきます。

三谷家のこと。

2023-06-13 13:55:24 | Weblog

『寛政譜以降旗本家百科事典』(東洋書林、1998年)第5巻p2732、2733。

幕臣三谷家のこと。メモ。

三谷惣兵衛元直(二丸留守居)
父:三谷左兵衛
本国:甲斐
屋敷:駿河台袋町
禄:100俵
弘化4年(1847年)10月逝去。

三谷錮(こ)之丞(当分小石川馬場脇御書院番三宅左兵衛方同居、小普請諏訪支配)

三谷惣三郎(重立肝煎(小普請)役金御免)
祖父:三谷惣兵衛・二丸留守居
父:三谷三郎兵衛・書院番
嘉永元年(1848年)5月4日家督相続小普請入り

 

小普請とは、江戸時代、小破損の普請の人足を旗本・御家人の非役の者に課したこと。


明治時代、本郷下富士町にいた大工(小普請)三谷藤兵衛妹の三谷カンが松濤権之丞泰明二男松濤泰近と結婚。

駿河台袋町(するがだいふくろまち) 東京都:千代田区旧神田区地区駿河台袋町 [現在地名]千代田区神田駿河台(かんだするがだい)一―二丁目 明治五年(一八七二)に起立。裏猿楽(うらさるがく)町北側の駿河台地上に位置する町で、町名は大袋(おおふくろ)町・小袋町と通称したことによる(御府内備考)。明治初年には胸突(むなつき)坂・大袋町と通称された(東京区分町鑑)。江戸時代はおおむね武家地。沿革図書などによると、延宝(一六七三―八一)以前の絵図に袋町と記され、大久保六右衛門など一七軒の武家地で、東西の通りは西方の和田新五兵衛邸で行止りの袋小路であった。
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短歌メモから。

2023-06-13 13:17:44 | Weblog
短歌メモから。

海中の密造酒工場に近付いてゆく東京士官の青き船底

厨房の窓開けトルストイ女史の妹はぺつたんぺつたん生地成形してゆく

日本橋河岸繋留中の青き船内にハンバーグ焼くる香り立ち初む

河岸脇の事務所FAX青紙に印字されゆく出動指令書

トルストイ女史は出動指令書手に取りて事務所を出でて一度伸びせり

明るむ昼の河岸タラップに漂ふる鼻孔くすぐるハンバーグの香り

トルストイ女史は厨房の妹に声掛けて船内廊下に指令書掲示

潜航艇はゆつくり川面に浮かび来る 夕つ方なる河岸のしづもり

青き船内に潜航艇忽ち収容されぬ 食堂に配膳されゆく熱々ハンバーグ御膳

指令書に従ひ出動する日々よ 御代り自由のご飯と汁もの
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短歌メモから。

2023-06-13 09:24:35 | Weblog
短歌メモから。

星やはらかく息づきをりたるその夜よ〈恥を知れ〉〈恥を知れ〉〈恥を知れ〉

〈逮捕〉しに来たる車もその人も翌朝〈逮捕〉されてしまつた

〈朕は法なり〉何時しか〈法〉はその一条のみ 〈朕〉が窓辺で珈琲を飲む

その〈国〉では悉く〈忖度〉求めらる 毛糸帽子は目深に被られ

〈大本家(おほほんけ)〉〈縁居(ゑんきよ)〉〈分家〉〈小口〉四家の墓を覆ひぬ湿る黒土

〈朕〉倒さむと〈大本家(おほほんけ)〉若者馬に乗り村を出でたる話は今でも

あの靴は〈若者〉の靴かも 血のやうな夕焼けの川に片靴浮かびて
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