『塔』3月号のはじめの方をパラパラ読み始める。
月集欄、松村編集長の一連から。
別れぎわに手を振ることも会うことも孤独だそれぞれの海を抱えて 松村正直(p6上段)
松村さんの作品を読んでいると、そこに自己や他者を冷静客観的に観察批評把握する〈傍観者の眼〉をありありと感じるときがある。この一首だが、下句〈それぞれの海を抱えて〉のフレーズが、そのまま中沢けいさんの小説『海を感じる時』の主人公の女子高校生を強烈に連想させるので、孤独を噛み締める作中主体の視線の先には、賑やかに華やかに友人同士笑いさざめき手を振り合う女子高校生たちの姿があるのかもしれない。〈孤独だ〉のフレーズの一首全体に対しての置かれ方が、実に効果的と思う。
〈作品2〉栗木先生選歌欄 の有櫛さんの一連から。
うたふなら鈍痛の鼻唄柘榴冷えびえと手にこぼれゆくなり 有櫛由之(p66上段)
ももんがの森にはぐれてみなしごの耳で聴きたる木々の鼻唄 有櫛由之(同上)
前者は一連冒頭で、後者は一連2首目。二つの歌を揃えて読んだときに〈鈍痛の鼻唄〉の意味が初めてふうわりと理解されてきた。作中主体は、晩秋の森にぽつんとひとりいて、手のひらの上の柘榴の実の冷たさを感じながら、風に唸る木々の鈍重なる鼻唄に耳を傾けているのかもしれない。紡がれることばの掬われ方が独特でユニークなところに惹かれた。