カームラサンの奥之院興廃記

好きな音楽のこと、惹かれる短歌のことなどを、気の向くままに綴っていきます。

メモです

2009-03-27 16:33:32 | Weblog
 メモです。。。

 久石譲さん麻衣さんに関する興味深い日記を綴られています。。。

みせすちゃいるどの日々らんらん
http://mrschild.seesaa.net/category/3996568-1.html
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1954年の東欧・中国旅行

2009-03-27 10:54:03 | Weblog
 メモです。。。

Wikipedia「芥川也寸志」の項より。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%A5%E5%B7%9D%E4%B9%9F%E5%AF%B8%E5%BF%97

(前略)
1948年2月、東京音楽学校で知り合った山田紗織(別名・間所紗織。声楽科卒)と結婚。このとき芥川は紗織に対して「作曲家と声楽家は同じ家に住めない」と主張し、音楽活動を禁じる態度に出てもいるが、これはマーラーが妻・アルマに取った行動と軌を一にしている(しかし 二女をもうけた後、1957年に離婚。のちに紗織は画家として活躍する)。
(中略)
1954年、当時まだ日本と国交がなかったソ連に自作の譜面を携えて単身で密入国。ソ連政府から歓迎を受け、ショスタコーヴィチやハチャトゥリアンやカバレフスキーの知遇を得、ついには自分の作品の演奏、出版にまでこぎつけた。当時のソ連で楽譜が公に出版された唯一の日本人作曲家である。中国から香港経由で半年後に帰国。
(後略)

 ***

 横須賀美術館開催の「芥川(間所)紗織展」図録の「芥川(間所)紗織氏年譜」によれば、「1954年、夫・也寸志氏の東欧・中国旅行に同行」とあります。これが事実だとすると、Wikipediaの「1954年、当時まだ日本と国交がなかったソ連に自作の譜面を携えて(也寸志氏のみ)単身で密入国。」は誤りということになります。
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横須賀美術館から

2009-03-27 09:30:13 | Weblog
 メモです。。。

 横須賀美術館から、芥川(間所)紗織さんの展覧会の図録が届く。

  ☆☆

 明け方に渦巻いた、詩篇。二つ。


「涙の日(ラクリモサ)」

いつから涙を流すことができなくなってしまったのだろう。
わからない。
泣けたらさぞや楽になれるだろうに。
なんなのだろう、この胸のつかえは。
苦しくてならない。
この世に産まれ落ちてから
ずっと安定してあると信じていた世界が
ゆるやかに崩壊していくのを見守るしかできない
無力感に起因する重苦しさ。

本当のこととは何なのだろう。
本当のことをわかっているひとがこの世には
いったい何人いるのだろう。

ゆっくりと更けてゆく夜に
目を瞑って
さあ、眠りに落ちた僕を神のところに連れていきなさい
神様に会わせてほしい
神様と話しをさせてほしい
と念じるが
はたして今夜僕は神様に会えるのだろうか。

   ☆

「ラディゲよ」

ラディゲよ、君は
「今夜神の軍隊が僕を銃殺しにやってくる」と
怯えていたらしいけれど
僕は軍隊を待ってなどいない。
こちらから神の許に乗り込んでやろうじゃないか。
とっくりと神様と話し合ってやろうじゃないか。

今夜でも明晩でも話し合いましょう、神様。
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