神宮 『蘭と牛骨』 油彩
チノです。駅からアトリエに来る途中、ふなちゅうの上にある大きな時計。。。短針、そろそろ付けませんか?!と気になって仕方が無い今日この頃です。
本日は、神宮さんの油絵をご紹介します。最近土曜クラスでちょっとアツい、「牛骨」をメインにした油絵。リアリティーがありますが、でも浮き世離れしたような、ミステリアスな雰囲気が漂います。画面の真ん中に置かれた牛骨と蘭は、揺らぐ事無くぴたっとその場にハマり、その象徴性が強調されています。そしてコンクリートの十字の溝がキリストの十字架を暗喩しているようにも感じとれます。骸骨はもちろん「死」を連想させるものですが、このニィっとした笑み(そう見えるだけですが)が、死をあざ笑っているようにも、死を恐れている我々をあざ笑っているようにも感じとれます。記事のタイトルにした「メメント・モリ」は、西洋では昔から芸術のテーマとしてよく取り上げられてきたものですが、その意味は、「自分が必ず死ぬことを忘れるな」という意味のラテン語からきています。「自分が死すべきものである」ということを人々に思い起こさせるために使われ、また金も名誉も死んだら何の意味も無い、空虚なものであることを強調しています。
作品を見ていて、ふっと浮かんだのでタイトルにもってきました。
この作品は、さらっと見ると、形の美しさや丹念に描きこまれた美しさに目がいき、爽やかな印象も受けますが、じ~っと眺めていると、だんだんと自分の中に眠っていた恐怖心が大きくなっていくような、恐ろしさも感じます。
リアルに描く、ということは、ある程度を超すと、自分を押し殺してひたすら冷静に客観的に描かなければ表現できません。それ故の冷たさ(作者とも距離があり、鑑賞者とも距離がある)も感じます。描いているご本人もさぞ神経をすり減らして描かれているのだろうと思うのですが、アトリエではさらっと描いているようにしか見えない、神宮さんのタフさに感服いたします!
チノです。駅からアトリエに来る途中、ふなちゅうの上にある大きな時計。。。短針、そろそろ付けませんか?!と気になって仕方が無い今日この頃です。
本日は、神宮さんの油絵をご紹介します。最近土曜クラスでちょっとアツい、「牛骨」をメインにした油絵。リアリティーがありますが、でも浮き世離れしたような、ミステリアスな雰囲気が漂います。画面の真ん中に置かれた牛骨と蘭は、揺らぐ事無くぴたっとその場にハマり、その象徴性が強調されています。そしてコンクリートの十字の溝がキリストの十字架を暗喩しているようにも感じとれます。骸骨はもちろん「死」を連想させるものですが、このニィっとした笑み(そう見えるだけですが)が、死をあざ笑っているようにも、死を恐れている我々をあざ笑っているようにも感じとれます。記事のタイトルにした「メメント・モリ」は、西洋では昔から芸術のテーマとしてよく取り上げられてきたものですが、その意味は、「自分が必ず死ぬことを忘れるな」という意味のラテン語からきています。「自分が死すべきものである」ということを人々に思い起こさせるために使われ、また金も名誉も死んだら何の意味も無い、空虚なものであることを強調しています。
作品を見ていて、ふっと浮かんだのでタイトルにもってきました。
この作品は、さらっと見ると、形の美しさや丹念に描きこまれた美しさに目がいき、爽やかな印象も受けますが、じ~っと眺めていると、だんだんと自分の中に眠っていた恐怖心が大きくなっていくような、恐ろしさも感じます。
リアルに描く、ということは、ある程度を超すと、自分を押し殺してひたすら冷静に客観的に描かなければ表現できません。それ故の冷たさ(作者とも距離があり、鑑賞者とも距離がある)も感じます。描いているご本人もさぞ神経をすり減らして描かれているのだろうと思うのですが、アトリエではさらっと描いているようにしか見えない、神宮さんのタフさに感服いたします!