小原京美 『帰路』 絹本着彩・墨
真っ白なキャンバスと向き合うとき、画面の中に何を表現したいですか?
描きたいものがあるとき、それの何を伝えたいですか?
改めて意識はしなくても、皆さんの作品には一番大切な『心』が入っていると感じます。
気持ちが込められた絵は、視線の滞空時間が自然と長くなります。
共感や意外性、癒しや感動、慟哭や驚愕など様々な感情を呼び覚まされ、作品の中から感じる目には見えないリズム・空気・音・匂い・光・温度などがひとつの物語となり、私に囁いてきます。
それはそれはドラマチックな体験です。
私にはアトリエの休みがほとんどありません。つまり一年間の内360日位は激的ドラマチックな日を過ごさせて頂いているのです。
子どもの頃ハマっていたマヤの予言~2012年世界終焉論~から、「その時は43才だから、もう死んでも悔いはないはず。十分生きたと思うだろう。」という自分予言は、“病みつきドラマチックの呪い”にかかったことにより、見事に外れてしまいました。いつまでもいつまでも皆様と一緒に、彩る光の中にいるような素敵な体験をしたいと思います。
今年も大変お世話になりました。
来年も、どうぞよろしくお願い致します。 2012年大晦日 小原京美
真っ白なキャンバスと向き合うとき、画面の中に何を表現したいですか?
描きたいものがあるとき、それの何を伝えたいですか?
改めて意識はしなくても、皆さんの作品には一番大切な『心』が入っていると感じます。
気持ちが込められた絵は、視線の滞空時間が自然と長くなります。
共感や意外性、癒しや感動、慟哭や驚愕など様々な感情を呼び覚まされ、作品の中から感じる目には見えないリズム・空気・音・匂い・光・温度などがひとつの物語となり、私に囁いてきます。
それはそれはドラマチックな体験です。
私にはアトリエの休みがほとんどありません。つまり一年間の内360日位は激的ドラマチックな日を過ごさせて頂いているのです。
子どもの頃ハマっていたマヤの予言~2012年世界終焉論~から、「その時は43才だから、もう死んでも悔いはないはず。十分生きたと思うだろう。」という自分予言は、“病みつきドラマチックの呪い”にかかったことにより、見事に外れてしまいました。いつまでもいつまでも皆様と一緒に、彩る光の中にいるような素敵な体験をしたいと思います。
今年も大変お世話になりました。
来年も、どうぞよろしくお願い致します。 2012年大晦日 小原京美