駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

患者さん、半ば無意識のダブルスタンダード

2017年05月25日 | 世の中

は      

 F氏は高血圧でもう十年近く通院している。大声で快活に話される人で、健啖家である。血圧は140/90前後BMIが27前後で、コントロールとしてはぎりぎり合格?といったところだ。毎回、もう三キロ痩せて塩分を控えめにして、一日三十分は早足で歩いてくださいと申し上げてきた。いつもハイハイと返事をしながら帰られるが、体重は全く減らない。

 今日は妙に神妙で、何か書き付けを持ってきた。会社の健康診断の結果、中性脂肪が210と高値で空腹時血糖が113と境界高値で、減量運動など生活改善が必要、付いては主治医と相談するようにと書いてある。いつも口酸っぱく言い、時々食品模型を見せ指導箋を渡しているのに、どうして今日は急に神妙な顔をしているのかねと嫌味を言いたくなるが、おくびには出さず、いつもより少し丁寧に説明し院内手製の指導戦を渡すと、殊勝にハイと答えて帰っていった。

 こうしたことは時々ある。ある意味個人医を舐めているというか甘えているいうか、こういう処ならさほど待たされないし多少我儘も通るからと町中の医院を選んでいるらしい患者さんも居られる。確かに、専門性では及ばないし十階建ての大病院ではないし高価最先端の検査機器もない、しかし医師としての総合力は十分備えており、きちんとした根拠に基づいて指導させていただいている。それを患者さんの中には風邪を診てもらい血圧の薬を貰う医者だからと聞き流してしまう方が居る。折角の指導を軽んじられては残念で遺憾だが、これも一種のダブルスタンダードで、自分に都合よく相手を見て態度を変える人は結構おられる。

 まあ、多少がっかりしても、かかりつけ医としては結果が良ければいいやと柔軟に対応している。

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恐るべきAIの進歩

2017年05月24日 | 小考

         

 どれだけ人工頭脳が進歩しているかを実感するのは難しいが、人類史上最も難しいゲームとされる囲碁で世界最強とされる中国の囲碁棋士、柯潔九段(19)に囲碁人工知能(AI)「アルファ碁」が勝ったと報道されている。遂にここまで来たかと驚いている。柯九段は対局後、記者団に対し「弱点はまったく見つからなかった。アルファ碁に勝つことはとても難しい」と敗北を認めたとのこと。

 コンピューターというと計算能力が優れているので、ゲームの終盤、将棋で言えば寄せや詰めが強い気がするが、実際詰め将棋では人間は全くコンピュータに歯が立たない、アルファ碁は大局観が優れているというから、人間が追いつきようがない気がする。そして最強のアルファ碁は自己対局を繰り返し、そこから学んで更に強くなってゆくという。つまりAIがAIを教育するから、手が付けられない。そうして困ったことは、何故その手が良い手だと判断したかという理由がAI開発者には分からないことだ。出藍の誉れもここまで来ると恐ろしい。

 優れたAI開発者に悪人は居ないと思っているのか、アルファ碁の勝利も人間の勝利だと開発者は喜んでいる。しかし、人間には悪人が五万と居るから、そう楽観も出来ないと思う。コンピュータの扱いは小学生以下でも、完成したAIの操作さえできなくても、妻子を人質に脅すとか開発者自身を拷問するとかは悪にはお手のものだろう。そこまでしなくても、超優遇だけでも善良なAI開発者は悪に操られそうだ。

 それに悪も色々、何が悪かは容易に判別できないし、一見悪の顔をしていないことも多い。他人を自分の思い通りに動かしたいという野心など、本人は勿論、同調者にも悪とは見えないだろう。

 AIに何が善何が悪と判別できるかどうかも分からない。それに、判別できれば安心とも言えない。AIという神様になりかねないからだ。

 特に悲観的というわけではないが、AIの進歩には要注意だと思う。人間の進化は三十年の世代ごとでしかも僅かなもので、AIの進歩には追いつけない。孫達が世の中を背負う時代にはどうなっているか想像を超えている。勿論、その時には自分は居ないのだが、だからわしゃ知らんという気にもなれない。

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がん患者さんの看取り依頼

2017年05月23日 | 医療

               

 癌患者さんの在宅看取りを希望される家族がある。当院にも時々病院から在宅での看取り依頼がある。以前よりは少し依頼が減っているが、それは二年ほど前に一度お断りした症例があったことや在宅診療専門の開業医ができてきたことと関係があるのだろうと推測している。実は少々というかかなり草臥れてきているので、減ったのはありがたい。というのは癌末期の患者さんは、脳血管障害や重症認知症の往診患者に比べて、往診医の心身の負担が大きいからだ。

 心の負担というのは往診で初めて診る末期癌の患者さんでは患者家族との良好なコミュニケーションが簡単には成立しないので、大過なく看取ることができても不全感が残るからだ。勿論、何か月も在宅で過ごせれば事情も変わるが、たいていは十日ほどで亡くなるので、死亡診断書を書くための医者のような気がすることもあり、やるせなく感じることも多い。

 今は介護認定制度があり訪問看護師の利用ができるようになっているので、二十年前に比べれば在宅での看取りに一つの形ができ、随分スムースに段取りが整うようになっている。しかるに、在宅での家族の介護力は核家族化が進んだせいか人数的にも個人的にも低下してきている。そして今でも家族の介護力が一番重要なのには変わりがない。

 介護力は家族の思い、理解そして実践力の総合なのだが、これがどの程度かということが非常に重要なのだ。実践力というのは手を出すことで、どれくらい主介護者、しばしばお嫁さん、の手が出るかということだ。手が出るというのは畢竟触るということで、この辺りに家族の歴史?が現れる。世の中には本当に頭の下がる献身的なお嫁さんも居られるし、ちょっと情けないんじゃないのという息子も居る。そうした全てを含めその人がその人を死ぬという臨終が訪れる。

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陛下のお気持ち、不満とは違うのでは

2017年05月22日 | 小考

     

 毎年七、八回、学会や勉強会で東京京都大阪へ行く。昨日は内科学会の教育講演会で大阪に泊った。いつの頃からかホテルでの新聞は毎日新聞にしている。昨日の毎日の朝刊に、天皇陛下が「ヒアリングで批判をされたことがショックだった」との強い不満を漏らされていたことが明らかになった、と報じられていた。

 宮内庁関係者は「陛下はやるせない気持ちになっていた。陛下のやってこられた活動を知らないのか」と話す。

 ヒアリングでは、安倍晋三首相の意向を反映して対象に選ばれた平川祐弘東京大名誉教授や渡部昇一上智大名誉教授(故人)ら保守系の専門家が、「天皇家は続くことと祈ることに意味がある。それ以上を天皇の役割と考えるのはいかがなものか」などと発言。被災地訪問などの公務を縮小して負担を軽減し、宮中祭祀(さいし)だけを続ければ退位する必要はないとの主張を展開した。陛下と個人的にも親しい関係者は「陛下に対して失礼だ」と話す。

 陛下の公務は、象徴天皇制を続けていくために不可欠な国民の理解と共感を得るため、皇后さまとともに試行錯誤しながら「全身全霊」(昨年8月のおことば)で作り上げたものだ。保守系の主張は陛下の公務を不可欠ではないと位置づけた。陛下の生き方を「全否定する内容」(宮内庁幹部)だったため、陛下は強い不満を感じたとみられる。

 宮内庁幹部は陛下の不満を当然だとしたうえで、「陛下は抽象的に祈っているのではない。一人一人の国民と向き合っていることが、国民の安寧と平穏を祈ることの血肉となっている。この作業がなければ空虚な祈りでしかない」と説明する。

 陛下が、昨年8月に退位の意向がにじむおことばを表明したのは、憲法に規定された象徴天皇の意味を深く考え抜いた結果だ。被災地訪問など日々の公務と祈りによって、国民の理解と共感を新たにし続けなければ、天皇であり続けることはできないという強い思いがある。以上ネットニュースより引用。

 当然、こうした見方に反論もあるだろうが、陛下のお気持ちはほぼ正確に伝えられているものと思う。それは陛下のお仕事ぶり生き方を見聞きしている者の共通の理解だろう。陛下のお気持ちを不満と表現しているが、私は恐れながらむしろ義憤に近いあるいは大きな落胆なのではと拝察する。

 こうした報道に接すると強引な我田引水安倍方式には耐えがたい感じがしてくる。九十年前の日本に戻そうという彼の目標は勢力を維持するため妥協を繰り返し、この十年で大きな変容をきたし、今では変えること私が変えたという功を残すことに目標が変貌しているように見える。

 森友問題、加計疑惑そして安倍夫人の行動。これらに対する対応は権力を巧みに操る能力と言葉でまやかす演技力の高さを示しているが、しかしこうした疑惑と妻の行動は賛同者や身内を依怙贔屓する彼の人となりを鮮明に表しているように思われる。

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君知るや、数共謀力

2017年05月20日 | 小考

               

 テロ等準備罪の採決強行は、自民党と維新界の用意周到な「共謀」を基に進められた。さすが共同謀議罪を強行採決する党の共謀力は凄い。

 強大な国家権力を縛るものは憲法しかなく抵抗できるのは野党とジャーナリズムしかない。しかるに国家権力に擦り寄る野党やジャーナリズムも多い。保守であれリベラルであれ、時の権力に立ち向かい都合の悪い事実や意見を伝えるのが野党とジャーナリズムの仕事のはずだが、どうもそうではないようだ。

 どうしてこういうことが起きるかと言えば、その理由の一つに近親憎悪にあると思う。野党同士やジャーナリズム同士はしばしばものすごく仲が悪い。権力や与党を利してまで足を引っ張り合う。維新の民主嫌いは過ぎている。

 民主主義の形では数の力が絶対で、どういうものか権力者は数集めに長けている。ほとんどの人はテロ等準備罪の中身や何が問題かに通じていない。安倍式改憲のどこが問題かも理解していない。テロが起きたら困るじゃないか、自衛隊を認知しなくては可哀想申し訳ないじゃないかと言われれば、そうだなあと思ってしまう。私もそれだけを取り上げられればそうだなあと思う。

 テロ等準備罪の副作用や安倍式改憲の不合理さを説明するには最低数百語は必要だし、ちょっと考えないと理解できない。下手に一言で批判すれば蓮舫の金切り声と本筋と関係のない批判で虚仮にされてしまう。どうも野党は悪知恵で負けているようだ。悪知恵も知恵か難しいところだが、この世では週刊勝ち馬が売れ筋のようだ。

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