駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

今どこに居るかを確認するとミスが減る

2017年05月19日 | 小考

     

 今、自分がどこにいるかを時々確認することは、間違いを防ぐ非常に有効な手段である。これは数多い失敗から学んだ知恵で、初心者や若い人に伝えたい。勿論、そうした注意を払っても、思いがけぬことがあるのが仕事であり人生なのだが、時々自分が何をしているか何処にいるかを心に浮かべるだけで、間違いを呼び込むことはかなり防げるし、時には成功を導くこともできる。

 どこにいるかというのは、地理的な場所だけではなく、時間的な位置、手続き経過の中の位置、人間関係の中の位置・・など、自分自身を客観的に俯瞰して捉えると、間違いを防いだり減らしたりできる。無我夢中というのは凄い力を発揮するし、そうでなければ突破できない壁があるのは確かなのだが、我を忘れて突き進むと五里霧中の中で出口の見えない袋小路に迷い込んでしまうこともある。

 病気の診断というのは数秒で閃くこともあるし、三十分かけてもはっきりしないことがある。一人の患者に割ける時間、自院でできる検査、自分の知識経験にはそれぞれ限界があり、よく分からない時は立ち止まって自分がどこまで進んだか自分にどこまでできそうかを確認判断する必要がある。そして時に、切り上げて翌日に再来院させるとか総合病院へ転送するなど別の選択をした方が良いことが多い。実験も同じで、時々自分が何をしているかどんな意味があるのかを冷静客観的に俯瞰するようにしないと、データが溜まるのに満足して無駄なことをしていた見当違いのことをしていたということが結構ある。

 日々の作業仕事だけでなくもっと大きいスパンでも自分の居る場所がどこにあるかを俯瞰して確認するのは良いことなのではと思う。最前線で働く私と同様に自ら手を下し額に汗して働いている人間には意外とそうした機会は少ないと思う。同僚や同業者と話をしても、自分の居る層から外へ出るのは難しいものだ。

 自分で計画を立てて旅に出る、異業種の人と交わる趣味を持つ、映画を見る本を読む・・、いろんな方法があるのではと思う。幅広い層の人(患者)と触れ合う機会のある私も、実は富裕層の人達に知己は少なく、自院の待合室に置いてある家庭画報を見てへーっと思っている。この年で今更と言われるかもしれないが、残り少ない人生を俯瞰して、いくつか日常から踏み出す計画を立てている。尤も、思うように行かないのが人生、鬼が笑っているもしれない。

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井上達夫先生の指摘

2017年05月18日 | 小考

  

 一昨日のプライムニュースに憲法関連の学者西修氏と井上達夫氏が出演していた。安倍首相の憲法九条追加改憲を巡る白熱の議論を予定した?はずだったが、実際には現実追随と理念整合の違いが際立っただけで、いわゆる護憲の学者が居らず、ちぐはぐな討論だった。おまけに司会の反町氏が井上氏の発言を制御してしまい、あまり公平建設的な議論であったとは言えない。

 非常に重要というか凄いと思ったのは井上氏が指摘した二つのこと。一つは、憲法九条の1,2項をそのままに安倍式に自衛隊の存在を明記し付け加えても、現行憲法と何一つ問題は変わらないということ、つまり加憲と称して書き加えるだけでは、一二項との不整合はそのままで全く改憲の意味をなさないという指摘。もう一つは、沖縄の基地負担を他の都道府県民は自分の痛みとして感じていないし北朝鮮との緊張に国民が切実な危機感を持っていない。それは沖縄は遠く他人事で、北朝鮮からはアメリカが守ってくれるという依存心を持っているからだという指摘だ。

 明らかな欺瞞が存在し、それがまかり通っているではないかと言われれば確かにその通りなのだが?と、西氏は涼しい顔で現実的には基地を本州に移転したり北を黙らせる武力を前面に出せないわけだからと手品のような拡大解釈で鵺のような折衷案を出して来られる。

 これをよくある理想と現実の対比のように捉えては拙いと思う。そうした一面はあるとしても、憲法とは何かを問い理解しようと努めないで、皮相で安倍式改憲の是非を問うと数集め争いになる恐れがある。数集めのためならなんだってやる強者色者に牛耳られては中身がすっとんでしまう。憲法とはどういうものかを国民の大多数が理解するまで、時間を掛けて議論を尽くしてから憲法改正をして頂きたい。現実に自衛隊は存在し、殆どの人がその存在を容認し、その仕事に感謝し敬意を払っている。私も隊員にはご苦労様以上の気持ちを持っている。既に集団的自衛権の閣議決定もされている。二千二十年に安倍式改憲を施行などと安倍首相は功を焦る必要は全くない思う

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日和見に聞こえる

2017年05月17日 | 人物、男

      

 今日から天気が良くなると予報されていたが、今日は曇天でやや涼しい。この十年くらい毎年天候が変わってきたと言い続けているような気がする。十分には解明されていないようだが、人間効果の可能性はありそうだ。六十年前、天然資源は無尽蔵で人間の活動が天候に影響を及ぼすようなことはないと少年科学雑誌で読んだ記憶があるが、どうも倍々ゲームは恐ろしい、人間活動が思わぬ力を持つようになったらしい。

 茂木健一郎氏が自身の“オワコン発言(日本のお笑い芸人は終わっている)”について「居酒屋で愚痴るぐらいのノリ。芸人の方に僕のツイートが見られているとは思わなかった」と振り返ったと報道されている。「『弱い者を笑いにするのではなく、強い者を笑いにすべき』という妙な正義感をふりかざしていた」と反省の弁を述べたとのこと。

 これでは終わったのはお笑い芸人ではなくあなたの方ではないかと言いたくなる。芸人には権力を恐れない精神が求められるていると言いたかったのだろうと推測していた。弱きを助け強きをくじく必要は全くないが、それこそ妙な正義感から自由で、上辺で弱者をねぎらったり、権力におもねったりしないのがお笑い芸人の真骨頂と言いたかったのではないですか?。それを「読まれるとは思わなかった」とか「妙な正義感だった」と振り返るのは自己韜晦というよりも日和見でしょう。

 折角、象牙の塔?から顔丸出しのテレビ芸能界,晒しの仕事に清水の舞台から飛び降りる心意気で?始められ、新風を吹き込んでいるように見えたのに、この妙な反省にはがっかりしている。賢いパンダではしょうがないと言えばそれでいいんですという答えが返ってきそうで、期待しているおじさんとしてはちょっと残念だ。

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借患は返さなければならない

2017年05月16日 | 医療

  

 長い連休明けには、休んだ反動で患者数が増加する。内科系の開業医では慢性疾患が八割を占めるから、処方日数を増やして連休を飛び越えさせても、結局は連休明けに患者が集中してほぼ一週間は二三割増しの日が続く。休んだ日に負い込んだ見るべき患者さんを、休日明けに診るわけだ。負債に例えて申し訳ないが、なんだか借金を返しているような感じがする。唯、借金と違うのは利息を付けて返すわけではなく、むしろ来るべき患者数よりも一二割少ない数になる、というのは連休中に他院を受診したり、改善してしまう患者さんが居られるからだ。

 しかしまあ、いづれにしても我々は借患はきちんと返してゆく。大病院が潰れても患者さんは負債ではないから、棒引きすることができない。勿論、スケールメリットだかなんだか知らないが、巨大でつぶれると影響が大きい病院には自治体や政府がテコ入れをして、再建や軟着陸が図られ、混乱は避けられるあるいは最小限にされる。実際に十数年前、近隣で医師の欠員が補充できない自治体病院に院長以下幹部と引き換えに医師を派遣しましょうという大学が現れて荒療治がされたことがある。

 患者さんとお金を比べること自体無理があるかもしれないが、大企業の巨大負債を見ていると何だか手品のようなやり繰りがされてゆく。さすが今度の東芝の巨大負債にはなかなか良い方法がないようだが、お金というのものの不思議さを感じる。患者さんは検査データは情報化できても、個人をやり繰りするのはできないので、お金の対極の存在なのかもしれない。

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節穴から見通す

2017年05月15日 | 政治経済

             

 何故、改憲提案で憲法九条に自衛隊を書き加えることと高等教育の無償化とをセットにするのか理解できない。高等教育の無償化は憲法を改正しなくても法律を作れば可能で、わざわざ持ち出すのには他の狙いがあるからだと思われる。この頃は衣が開け、鎧丸出しの名優というよりは怪優になってきた首相を支えるのは菅官房長官だ。名門出身でも大秀才というわけでもなく地道に努力してきた苦労人なので、彼には庶民感覚が身に付いている。だから庶民の感じ方、庶民の反応を読むことに長けている。それを首相を諫めるのには使わず、首相の勇み足を和らげ当たりを弱く脚色するのに生かしている。なぜかと言えば主君を支えることが何よりも優先されているからだ。自分を殺し主君を支えかばうことに身命を賭しているかのように見える。突出を削り、塩味に砂糖を塗し、反対者を陰に懲らしめ、コバンザメを有効に使い、権力維持を図る才能には恐るべきものがある。支持はしないけれどもその策略能力の凄さには恐れ入る。

 実は諫めないとは書いたけれども、得策ではないという助言をしているのか伝えているのか、首相の主張には庶民が飲み込みやすいようにという譲歩変容がある。反対する野党、特に民進党の弱みを巧みに突いているのだ。

 権力という魔物を手中にし操るには、こうした端倪すべからざる黒子のような存在が欠かせないのだろうか?。民進党には幼稚なお山の大将が多く、こうした人材は乏しいというか皆無のように見える。時には失礼だが、馬鹿かと言いたくなる動きをする。

 尤も、こうした内閣核議の策略は気付けば透けて見えるので、憲法改正も審議を尽くした上でなら結構と思いつつ、安倍政権でなければという条件を付け加えることになる。

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