駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

転ばぬ先の杖

2017年05月09日 | 人生

           

 いつ頃から転ばぬ先の杖と言われるようになったか知らないが、どうもこの言葉が生まれた頃は脳よりも身体が先に衰える人が多かったと推測する。というのは転ばぬ先にと気付き考えるには脳力が残っている必要があるからだ。本人が気付かなくても、周りがと思われる方は経験が浅い。病識が乏しく聞き分けが悪くなっているから、簡単には周りの忠告を聞き入れなくなる老人も多い。

 今の後期高齢者には、個人差が大きいけれども、脳が身体よりも先に衰える人も結構居られる。これはこれで世話をするのが中々厄介なのだ。足は達者なので遠出したはいいが、迷い子になってしまう。あまり報道されないが、そのための事故も結構ある。この爺さん婆さんはどこの誰と知っている人が居ない地域に足を踏み入れると、警察のお世話になることも多い。えーっ、どうしてこんな遠くまでという五キロも六キロも先で見つかることもある。

 そうしたわけで転ばぬ先の杖は比喩と受け止め、老い込む前に手を打っておくと理解するのが宜しい。

 夫婦の関係も様々で望ましいのはお互いに補いあうことと思うが、世に頑固親爺はまだまだ健在?で、妻の意見には耳を貸さず、儂は病気でないと高血圧など自覚症状の乏しい病気の通院を止めてしまう威張りが居る。数年もすると脳出血を起こしたり、余病を併発して動けなくなり、往診してくれという連絡が入いる。

 あれあれと往診して入院させても、結局寝たきりで帰ってくる。場合によっては帰って来れずそのままお亡くなりになることもある。ご本人も勿論、不本意と思う能力は失われていても不本意だろうし、奥さんのご苦労は並大抵のものではない。愚痴を言っても仕方がないからか、従順が習い性となったからか、運命を受け入れて甲斐甲斐しくされる方も多い。中には今更ではあるが江戸の敵を長崎でという方もおられる。

 そうしたわけでさらぬ分かれの前にはさらぬ衰えがあるので、心身ともにある程度元気なうちに衰えた時にはどうするか考えて手を打っておくことを強くお勧めしたい。これは二百人以上を自宅で看取ってきた老医の心からのご忠告だ。かくいう私もとりあえずは仕事の引き際、さらには人生の引き際も頭の片隅に置いている。

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