駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

京都派?

2012年02月24日 | 身辺記

      

 京都学派と言えば難しい哲学のことのようだが、このブログでブックマークさせていただいている京都在住の方を京都派と呼んでみたくなることがある。住んでいる所が同じだからと一絡げはご迷惑かもしれないが、偶然なのか、筆まめというかブログまめな方が揃っておられる。

 地方の文化というか風土に興味があるので、ブログの中の地域色も楽しんでいる。以前は時折、キーワードや孫引きでブログの探索をしていたが、この頃はちょいと億劫になり、大した餌もつけずに置き竿で糸を垂らして、何か掛からないかと待っている。どうも中国四国九州地方のブログが釣れない感じがしている。

 最近はフェイスブックなどが出てきて、ブログ活動は下火なのだろうか。私の仕事は仕事中でも五分十分の空き時間ができることがあり、そんな時ブログは手軽で良い気分転換になる。見聞が広がるし、言いたいことも言える。秘かに認知防止にも?なると思っている。硬くなってきた脳に新風を送り込むべく餌を変えて?、新種を求めて深みに糸を垂らすのも一興。そう云えば、アナゴは遥か南の深海で産卵するとのニュースがあった。

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ドラゴンタツゥー、ツー

2012年02月23日 | 映画

     

 癪なので、急患の呼び出しで見られなかった「ドラゴンタツゥ-の女」の後半三分の一を観てきた。全編を見ることによって、ハリウッド版の評価が多少上がった。それは主に映像の美しさとスケールの大きさによる。

 リスペットの実像はノオミ・ラパスに近いと思うのだが、男というのはどうしようもなく、ルー二・マーラの美貌によろめいてしまうのだ。存在感も演技もノオミの方が優れているのだが、ルー二の方が美しいというか可愛いのだ。ルー二は無表情を取り繕ってはいるが情感豊かで、しかもその心の動きが常人と同じなのが感じ取れてしまう。

 ハリウッドのハッピーエンドの伝統が微かであってもメロドラマの色付けに表れてしまっている。スウェーデンロケによって、スウェーデンの街並みと風景の美しさは堪能できるが、影というか荒涼感はもう一つ描き切れていない。

 そうは言っても、続編を楽しみに見ることになるだろう。

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チョコレートは**

2012年02月22日 | 小考

         

 昔のようにバレンタインにチョコレートを戴くことはなくなった。私が年を取ったためというより義理チョコが減ったせいだろう?。そのせいかどうか、単価が上がっているようだ。先日、デパートでバレンタイン売れ残り?と思えるチョコを見かけて、お値段が張るのにびっくりした。本命ないし本命候補生には高級品をどうぞという作戦なのだろうか。

  机の引き出しに明治かロッテの板チョコを入れているがどちらも100円で三四日は持つ。ひとかけらで板チョコが数枚買える値段のチョコレートとはいかなるものか。

 私の味覚では風味やバラエティでは及ばないとしても、明治とロッテの板チョコはAやGやNのチョコにさほど遜色なく感じられる。

 チョコレートに目くじらをたてるわけではないが、消費者は円高を見据え相場を疑う感覚を持つ必要があると思う。

 尤も、愛のこもったチョコレートにはしかるべき風味と包装にそれなりのお値段が必要と言われれば、成程と申し上げるしかない。

 

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デコ

2012年02月21日 | 人物、女

     

 デコで分かる人はどれくらいいるだろうか?。私は吉永小百合の世代で、高峰秀子は二十四の瞳の大石先生としてうっすら憶えている程度で、亡くなったと報じられた時もさほどの感慨はなかった。

 しかし、何の気なしに読んだ「波」で安野光雅の憤慨に触発されて手にした「私の渡世日記」によって、高峰秀子に魅せられてしまった。たかだか一冊の本と数十枚の写真で人を知ったなどとはおこがましいとは思うが、そういうこともある。こういう人だったんだと驚きながら、不思議に惹かれるものを覚えた。

 平均的な皮相の知識から、高峰秀子は吉永小百合は似た経歴の女優と思っていた。子供の頃からアイドルとして(高峰の場合は幼児から)圧倒的な人気を博し、成人してからも主演女優として存在感を示した・・・。当たらずも遠からずに見えるこの印象が実は表面的なものなのを知った。吉永小百合についても、どんな人かを詳しく知るわけではないが、同時代を生きてきたから、高峰秀子よりは分かっていると思う。

 随所に知性の閃きと抑制はあっても直截露わに語られる生い立ちに戸惑いを感じたが、読み進むうちにそうならざるを得なかったのだ否それでもと、苦しい生い立ち環境が心に浸みて理解できる。

 若い頃の写真を見ると高峰秀子は鼻筋の通った所謂美人とはちょっと違うけれども、当たり前とは言え美しく魅力溢れる女性だったのだと改めて思った。大石先生のイメージとは違い、なかなか色っぽいのだ。何処がどうと書き出せば長くなるが、吉永小百合にはない蠱惑感ずる鋭く厳しいところのあった人のせいか、そうした魅力に触れている文を眼にしなかったので書いておきたい。

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主食の力

2012年02月20日 | 旨い物

      

 日本人の主食と言えば米ということになっている。年々米の消費量が減っているので、五十年後は変わっているかもしれないが、私は米無しには食生活が成り立たない。

 洋食も好きだが、本格的な専門店よりもパンにしますかライスにしますかと聞いてくれる和風洋食店に行くことの方が多い。

 今の若い人に米の圧倒的な旨さが分かるだろうか。安くて旨い店を探すのが趣味なのだが、ご飯が美味しい店は意外に少ない。多少料理が見劣りしても、飯が旨ければ私の場合は合格点を付ける。

 毎日食べても飽きないのは凄いことで、パンにしてもジャガイモにしても、どの民族も実は主食に大変なこだわりがあるのだろうと思う。尤も、新教圏は食事にこだわりが乏しいようで、生きるために食べるのを地で行く人達も居るようだが、きっと庶民にはそれなりのこだわりがあると推測する。ジャガイモも米に負けない銘柄があると聞く。

 私の弁当はおかずは昨夜の残りものでたいしたことはないのだが、飯はコシヒカリ系の一級品にしている。今日も昼飯が楽しみだ。

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