駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

電力節減に考えた

2011年04月24日 | 小考

 夏に向けて東京電力の電力不足が懸念されている。収入が少なければ支出を減らすのが鉄則だ。しかし、妻の一声で、旦那の小遣いを減らすような安易な方策は身も心も貧しくするだけだ。視点を変えて、問題に取り組めば活路は開ける、否取り組んで活路を開かなければ、光差す明日はない。

 玉石混交の識者も指摘しているように、東日本大震災は、日本社会の仕組みを考え直す試練だと思っている。もっと大きく、人類に課せられた試練と捉えることもできるだろう。末世に現れるという菩薩が大きな籠を空から吊り下げ、必要な物だけを入れよとお告げになったら、我々は一体何を入れれば良いのだろう。降り止まぬ放射能に現代のノアは何を集めて箱船に乗せれば良いのだろう。

 突き詰めて考えてゆけば、美談では終わらない。ボランティアでは息が切れる。不要不急の物事も、それで生きている人には死活の問題、廃止には必ず猛烈な抵抗がある。六無齋でさえも死にたくも無しと嘯くのだから、まして家族ある身は目の色を変えて飯の種を守ろうとするだろう。誰にも最低限の生活を保障しようとする社会の中では、不要の物事を白日の下で智慧を絞り、穏やかで強靱な合意の元で無しで済ます仕組みに変えてゆかねばならない。これは至難のことで、優れたリーダーなくしては不可能と思う。

 具体的に二つのことを思い付いた。地上波テレビは二波で十分、最大でも三波でよい。テレビで生きている人達は目端の利く人多彩多才の人が多いので、インターネットや地域の広報など再就職の道も広いだろう。大資本から自由になった放送人は透明性の高い、より公共性の高い地域に結びついた情報を発信して、一石二鳥になるかもしれない。 

 もう一つは安全を安請け合いさせないことだ。二言目には安全という評論家や学者には家族ぐるみで問題ないと仰せられる衣食住を実践してもらうことだ。老い先短い人の安全パーフォースなど誰が信じようか。もし原発を新設するなら電力会社の住宅村を周りに建設し、重役の家族も住んでもらうことだ。

 私は原発推進派ではないが、事故で突然針が反対側へ振り切れてしまうような思考や行動は危険だと思っている。世の中に絶対はない、それは神話の思考停止に過ぎない。唯一の絶対を忘れず、より安全を目指すのが智慧ある人間の仕事でしょう。

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悲しい 寂しい けれども

2011年04月23日 | 人物、女

 田中好子さんが亡くなった。長く乳がんとの闘病生活だったのを知らず、腑を突かれる思いだ。熱心なファンではなかったが、顔立ちと飾らない人柄が好きだった。まだお若いので一層残念で悲しい。

 乳がんは五年過ぎても油断できず、性質の悪いがんだ。聞けば急性白血病で亡くなった夏目雅子さんのお兄さんがご主人だったとのこと、神様も酷いことをされる。温かい笑顔を忘れない。

 こちらは、別れではなく今度いつどこでと言うことなのだが、丁野奈津子さんが番組を降りられた。あの涼しげな眼と口元の微笑みに会えないのは寂しい。またブラウンでお眼にかかれれば幸甚だが、爺むさくこれを機会によき伴侶を得て、身二つにとも思う。

 前回の絵をアップしてみた。赤い額縁が手に入らず、これで我慢と額縁屋の親父。悪くはないが、折角のアドバイスが生かせず、ちょっと残念。

 干武陵はサヨナラ ダケガ ジンセイ ダ(井伏鱒二訳)と一杯の酒を勧めたが、別れと出会いに紅茶とケーキはいかがとも思う。

 

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不思議な揺らぎ

2011年04月22日 | 医療

 お客さん(患者さんもお客さん)相手の仕事をしていると、その日の仕事内容や量はあなたまかせで、忙しかったり暇だったりで不規則に変動する。連休の後とか月曜日は混み合うことが多いのだが、必ずというわけではない。開業し始めは患者さんの数が気になり、最初二年くらいは、急に少なかったりすると、考え込んだりしていたが、まあ取り越し苦労というか、考えてもわかるわけはなく、訪れる薬の卸や薬品メーカーのMRに聞くとほかの医院も暇なことが多く、地域である程度同期しながら変動しているのがわかり安心したものだ。それでも患者さんが少なくても、心が平穏でいられるようになるのに十年近くかかったような気がする。

   今は来院患者が少なくても、そういう日だと気にもせず、溜まっている書類を書いたり、地図やネットを見たりしている。日単位では少ない日と多い日が倍違う。月になると20%、年になると4%くらいの揺らぎで、だんだん揺らぎが小さくなる。ただ年では総額が大きいから、少ない年は会計の余裕がなくなる。

 この十年、患者数はほぼ横合いであるが、医療費の改定や職員の昇給があるので、黒字は減ってきている。あと数年で赤字になりそうな勢いだ。厚労省は病院に厚く、開業医に薄く改定してくるので、私の所では実質マイナス改定になっている。当院では特定疾患の指導料や末期往診料を頂いていない。これを頂けば、かなりの増収になるが、診療内容にさほど差がないのに前回と今回あるいはAさんとBさんの値段が大きく違うのには頂く方が納得がいかず、一律低い方に合わせている。これには様々な意見があり、どちらがよいとか、だからどうだとか言うことではなく、私はそうしているということだ。

 だから気にならなくなった来院患者数の揺らぎも、もう暫くすれば浸水の原因になる可能性があり、揺らぎに身を任せてのんびりしていては駄目で、それを凌ぐ手立てを考える必要が出てくるかも知れない。

 尤も、おそらくその頃には頑張る道ではなく、引退の道を選ぶことになるだろう。

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故郷は

2011年04月21日 | 小験

 

 故郷は遠くにありて思うものと・・犀星は書いた。犀星先生には普通の人とは違う故郷を離れる事情があったようだが、仕事の関係で故郷を離れている者にも分かる書き出しである。

 このたびの災害事故で止む得ず故郷を離れざるを得なかった人達に望郷帰郷の念が強いようである。生まれ育った所で住み慣れた所で暮らしたいというのは人間と言うよりも生物の習性本能なのかも知れない。人間はそれに加え仕事のこともあり、農漁業のように土地に強く結びついた職種の方には死活問題だろう。果たして、どのような形で帰郷が叶うものか。原発周辺のようになかなか帰郷が叶わない人達も出てくるだろう。

 災害や事故で故郷を離れて暮らさざるを得ない人と仕事や配偶者の都合で故郷を離れた者を同じように論ずることはできないが、人生至る所に青山あり住めば都も古来の事情で、高齢者でなければ、これも人生と踏み出す手もありそうに思う。

 私も妻も高校を卒業して以来、故郷を離れて暮らしてきた。我々には毎年墓参りに訪れる二つの故郷があるわけだ。妻には何度も、彼女の故郷K市に住んでも良いと言ったじゃないと責められたが、今ではこの土地が第二の故郷になって、漸く受けいれてきた様子である。

 思い浮かんで書いたが、何の慰みにもならないと被災され慣れぬ土地に仮住まいの人に怒られそうである。

 ちなみに犀星は繊細叙情の詩を書いたが、犀川のゴリに似た美男子からはほど遠いえっこれが作者と驚く風貌である。こんな事を書いてぶん殴られそうだが、意外なことにモテたのだ。だから、意に介されない?だろう。

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女性議員の趣

2011年04月20日 | 人物、女

 

 蓮舫議員や辻元議員を女性だからと取り上げるのには異論もあろうが、どうも飾り花のように扱われているところがあり、だんだん色褪せて感じられてきた。彼女達の鼻っ柱の強さと華?が目眩ましに利用されている所があると観測する。利用する方には節度が、利用される方には思慮が足りないように思う。いつまでも派手な印象を売り物に配置され動いていると、やがて擦り切れて使い捨てられると忠告したい。特に辻元議員に対しては社民党離党時に理解と賛意を表したことがあるので、忸怩たる思いがある。

 どうも他者に厳しい舌鋒の人は責任ある立場や批判される立場になると冴えないようだ。公の評価は他者の手に委ねられ他者が下すものだ。公的業務に於いて自己評価だけが高い人は、無私の優れた判断が出来る人品ではないとしたものだ。100mを13.2秒でも、俺は精一杯命がけで走った、当然日本代表の資格があると言い張る人は出場する部門を勘違いしている。町内会前期高齢者部門に回って頂こう。そういう人を身内だからと弁護するのは女性の良さが裏目に出ているのではないかと思う。公職の議員となれば、女性の持つ献身や優しい心遣いなどの美徳は身の回りではなく、広く国民全体のために役立てて欲しい。

 

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