時折寄り合い語らい飯を食うただそれだけのことだが、暇乞いした後これが貴重な至福の時だと感じるようになった。故郷を離れ四十過ぎてからの友達なのだが、何度か一緒に外国に旅行もした。最後にもう一度行きたいと言いながら実現できるかどうか覚束ないが、かけがいのない友達と感じるようになったのはやはり年を取ったせいだろうか。私だけが当地の生まれ育ちではないので、彼らの若い頃の話には付いていけない時があるが、ああ昔はあそこに堤防があったんだ、橋が架かっていたんだと聞いている。
集い飯を食い語らうのは普遍的な楽しみで民族を超えて人類に共通なものなのだと今頃になって気付いた。