遠い昔、too many rules という歌詞を聴いた記憶がある。確かコニーフランシスが歌っていたと思う。弘田三枝子も歌っていたような気がする。まあ、私は爺さんだから門限もなくあれこれと細かい決めごとなどない。少々女房がうるさいが、それも聞き流せば大して苦にはならない。ところが事務能力が衰え物忘れが出てきたので仕事以外のあれこれが、多すぎると感じられ負担になってきた。先日も携帯を変えたのだが、仮のパスワードと暗証番号が思い出せない。メモもどこかに行って見つからない。本棚が多いので一寸置く場所が多すぎるのだ。いつか、ああこんな所にと出てくるだろう。まあ、取り敢えずは使えており問題はなさそうなので、捜すのは諦めた。
書評を読むのは楽しいが、褒めてあるのが多く目移りする。どうも評者と評価が違うことが増え、べた褒めなので買ってみたら三ページで挫折する本がしばしばだ。書評を読まないのも寂しいし、読みたくなって買うと失敗するので困っている。幸いというか踏ん切りが付いたというか、勉強会講演会はめっきり出席率が低下し、月に二三回になったのでこれはなんとかコントロールできている。尤も今は忘年会の季節で高々五つだが、何だかスケジュール一杯感がある。要するにあれもこれもとやることが一杯に感じられるようになってしまった。実際にはやることや憶えることが増えたわけではなく、物事が手に余るというか脳に余るようになったのだ。
土人などというと直ぐ差別語だと叩かれそうだが、熱帯の土人の中には多くの数が理解できず、一つ二つ三つ沢山と四つ以上は全部沢山という種族が居たそうだ。何だかそれに似て五つ以上の物事がtoo manyと感じられるようになった。トランプは同い年なので、彼にも同じ徴候が出ているのがよく分かる。