駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

あんまりだなあ、劣化に烈火

2019年12月11日 | 世の中

             

 

 反社会的勢力の定義が決まっていないと閣議決定。税金を使う会の推薦枠を持っていた妻は私人と閣議決定。このような単に首相を守るためだけの子供だましの決定をする閣議にどのような権威があるだろう。二十年前にはあったかも知れないがこの五年ばかりで決定内容が私物化されて権威も地に落ちた。権威のない閣議の決定で首相を守ることは出来ない。国会の要請があれば出席して説明するとあたかも正々堂々としているように振る舞うのは自党の反対でそうしたことが簡単には実現できないことを知っているからで白々しい。

 口では何とでも言える。大盤振る舞いの予算を明日は明るくと言葉で飾り立てて計画しているが、財政健全化は何処へ行ったのか、誰がつけを払うのか。日本の景気の先行きには暗雲が垂れ込めている。オリンピックにも陰りが出てきた。中々希望が持てない。なぜか、その理由は明白で政府と政治の信用が失われたからだ。信用を貶めた閣議の誤魔化し病は次々と伝染し筋が通らない無責任で信頼できない社会情勢を生み出してしまった。勿論、物事はそれほど単純明快ではないだろうが、首相と内閣の責任が重大なのは言いにくいだけで、多くの人が皆知っている。

 反対しているのは野党だけと思っておられるのだろうか。いつまで個人的野望実現のために、誤魔化してごり押しを続けられるのだろう。憲法改正を必要と考える人も二年以内に安倍さんの手でと思っている人は少数派だ。異論を唱える人達は押さえ込めばいいのだろうか。そんな人達は国民に数えなければよいのだろうか。敵愾心は対立を招くばかり、謙虚に真摯に反省を死語にしないで、嘗ての字義通り実行していただきたい。

 管さんは桜の会の説明がなぜ受け入れられないのが分からないと言っておられるが、おかしいと思っているのは野党的な人達だけでない、七割の人が説明は納得できないと考えている事実に目を向けていただきたい。バックアップは公文書ではないというのも付け焼き刃の言い訳で、では電子カルテはカルテではないのか。何のためにバックアップを取っているのかとお聞きしたい。反社会的勢力の定義がないというのは、定義がないからその人物が反社会的人物とは言い切れないというまやかしのために持ち出した詭弁に過ぎない。芸能人の定義は何だろう。調味料の定義は何だろう。マスコミの定義は何だろう。管官房長官にはあの人は何をしている人に言葉の定義を持ち出す必要はないのではとお聞きしたい。

 記憶は当てにならないことも多い。記録がいかに大切なものか、内閣を支える官僚が理解していないはずはない。記録を残すのは公務員の使命で、第二の本能のはずだ。ハードディスクの占めるスペースなど、書類の千分の一以下で、記録を保存する場所がない記録が多すぎるなどは証拠隠滅の言い訳にならないと申し上げたい。

コメント (2)
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