駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

判官贔屓考

2008年11月03日 | 世の中
 日本人は判官贔屓と言われるが、それは観客としてのことで、自分に関わることではやはり寄らば大樹の陰や強きを助け弱きをくじく人が多い。それが当たり前だろうと態度に出る方も多く、業界の会合では強くそれを感じる。
 再診料などもう少し安くても良いのではなどと発言すれば殺気を感じ、以後発言者の役職就任を裏で阻止しようとする人達が出てくる。幸いというか、公の場では、収益優先の発言は影を潜めるので、中庸というか妥協というか、間の線が出てくる。
 判官贔屓がどの程度妥当な物言いか分からないが、日本人が同情能や感傷性に恵まれ、思いを託す収束を好むために言われるようになった気がする。
 思い出すのは元国連難民高等弁務官緒方貞子さんの言われたことだ。日本人は可哀相な人達を見て直ぐ涙を流すのよ。でも、それだけで手が出ないのね。泣いていないで手を動かしなさいと引っぱたいてやりたくなるわ。
 自分は安全な堤防に座り、中州で流されそうな人達を涙を流して見ているのでは物事は改善も解決もしない。贔屓の真骨頂はそうではなくて、あらゆる手立てで助けようと走り回ることにあるはずだ。きっと大分トリニータにはそうした骨頂の判官贔屓が多いに違いない。
 鉄面皮と言われても、手を出す人が物事を動かしてゆく。
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