駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

明治ははるか遠くに

2008年04月30日 | 診療
 18年前開業した頃は、まだ明治生まれの患者さんがたくさんおられた。今はもう付き添いなしで受診される明治の人はおられない。明治人の薫陶を受けた人も少なくなりつつある。
 明治生まれの印象はまず第一に明るく強い、つまり前向きで愚痴が少なく強い信念と責任感があるということ。我慢強かったようにも思う。どこか長男長女の気質に通じるところがある。どうしてこんなに進行するまで受診しなかったんだろうかと思うような明治の生まれの患者さんを何度も経験した。なにこれくらいと我慢してしまったのだ。そうした特性の裏返しか、ちょっと困るところは頑固でやや独善的なところと言えるかも知れない。
 こうした印象は知らず知らずにメディアから得た情報や、明治生まれの患者さんを多く診た2,30年前の時代背景によって修飾されていると思うが、当たらずとも遠からずだろう。
 草田男の句が詠まれたのは意外に早く戦前だったと記憶する。もうそれから70年、明治は遠いどころか、遙か彼方に霞んでいるというべきかもしれない。平成生まれの人には明治は歴史の一部なのだろう。昭和も明治の謦咳接したのはかろうじて30年生まれまでくらいだろうか。今の研修医には想像できないだろうが、昭和一桁生まれの先輩達は教授室に入る時足が震えたと聞く。それくらい怖い教授が居たのだ。
 草田男の句には時間が遠いのと時代の精神が薄れてゆくの両方の思いがあると思うが、どんなものか。タメ口の患者やあれやこれやと神経過敏な患者さんの多い日は、はるか彼方の明治が懐かしく感じられる。
コメント
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