駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

畦道に立つ人、天守閣から望む人

2008年04月08日 | 医療
 厚労省と医師会員とはどうも意見が噛み合わない。支払い側と受け取り側だから当然といった見方は、動機付けから単純化し過ぎていて、議論を不毛なものにしてしまう。殊に、未だ抜けがたい開業医は儲け主義だから駄目だといった固定観念には閉口する。確かにそうした側面がいくらかあることは認めるが、だから直ちに駄目とはならないし、それが厚労省と医師会員とのすれ違いの主因ではない。
 厚労省と医師会員との齟齬の主因は対象のとらえ方の違い、マクロとミクロ、から来ている。たとえば、一千万人の糖尿病患者を対象とした診療報酬体系と百人の糖尿病患者を診療して引き出される診療報酬体系とでは、視点が違うので当然異なるものになる。しかも一千万人の糖尿病患者を対象とした方が個別化が粗く、百人の糖尿病患者診療由来の方が個別化が細かいので、余計にややこしくなる。開業医は百人の糖尿病患者をほとんどすべて個別化して診ている。一方、一千万人を個別化する事は難しく意味もない、マスとしてとらえなければ政策の立案は不可能だ。額に汗する畦道の開業医と天守閣で深謀遠慮に心を砕く厚生官僚ではものの見方のスケールが違うのだ。だから冷静客観的科学的に歩み寄る必要があるのだが、これがなかなか難しい。しばしば袋小路に迷い込む。
 そうすると不思議なことが起きる。数学がどうも赤点になりそうだから漢字の書き取りを3枚やりなさい、そうすれば通しましょうというような、とても優秀?でなければ考えつかない妙案?が出てくる。手の込んだ朝三暮四だ。こうした行政手続きの組み替えによる妥協はなくしていきたい。複雑で理解しにくい手続きは医療従事者の心身疲労と時間の浪費を招き、実質に乏しい形だけの変化に留まり、結局は費用を嵩ませるだけだからだ。行政には現場の訴えに応え、より単純明快な施策を提示する務めがある。すれ違いの要因がわかっているのだから、それはからくも可能なはずだ。そのためにこそ優秀な頭脳を使って頂きたい。
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