駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

花冷え

2008年04月06日 | 世の中
 今年の冬は天気予報外に寒かったが、三月に入り急に暖かい日が混じるようになり桜の開花が早まった。咲き始めから満開まで一週間もあっただろうか。あっという間に満開になった。診察室でも「桜が咲きましたね。春ですねえ。」と挨拶をする。「今日は風が冷たいですよ」と返事をされる方もおられ、それも桜の味わい深さかと思う。
 桜の木は普段は目立たないので、あれこんな所にという場所で頭上を桜色に覆われ驚くことがある。桜は薄紅色と言うが、花びらは白に近く本当に淡い微かな紅色で、そこが堪らなく好ましい。ああ咲いたなと思うと、あっと言う間に満開になり、惜しげもなく散ってゆく。しかしその淡さ潔さの背後に妖しさを垣間見せ、私ごときが述べるまでもなく、桜は日本の精神風土に生きている花だ。
 校庭の桜、神社の桜、小川のほとりの桜。通りすがりに車窓から見かけただけでも、なにがしかの感慨が湧くだろう。それが単純な美しさだけの心象でないところが桜の凄さだ。
 しかし、平成の世にはだんだん桜が似合わなくなって来たような感じがして気がかりだ。なぜそう感じるのか、これは私だけの感覚なのか、よくわからないが、何か衰退の予兆を感じてしまう。衰退というのは、経済成長の縮小のことではない。経済の減速は当然というか必然で、何も心配することはない。従容と歩めばよいので、気がかりは精神の衰微だ。桜の花の下で物事を鑑賞する力を涵養してゆければと思う。
 飛躍するようだが、歴史(国語)を学び人間を知ることで味わう力が高まれば、生き生きした明日が開けてゆくだろう。桜に酔ったか、どうも偉そうなことを書いた。
コメント
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