親父が息子をぽかぽか殴っているわけ、そして何を言っているかって言うと 「あれだけ暴力はふるうなって言っただろう!」 人のやることはこのように矛盾に満ちていることが多い。教室で 「うるさい!黙れ!」と叫ぶ教師がその瞬間はいちばんうるさい。体育館での健康診断のおりに 「お静かに!」 と書いたプラカードを持ち歩いていた教師がいて、いたく感心したことがある。
矛盾の実体そのもののような 「無言の行」 という小噺がある。インドの民話である。昔ある所で三人の行者が、無言の行をしていました。そこへさっと一陣の風。消してはならない常夜燈が文字通り風前の灯火。たまりかねた一人が、ついに叫びました。「常夜燈が消えそうだ!」 しばらく沈黙がつづいたのち、もう一人がいいました。「お前は禁を破ったぞ」 長い沈黙の後、三人目が誇らしげにいいました。「禁を破ってないのは、オレだけだ」
このほど光市母子殺人事件で最高裁は下級審への差し戻しを言い渡しました。被告人の死刑が予測される事案となりました。テレビのニュース番組は理不尽な犯罪で妻子を失った本村洋氏をたびたび登場させ 「犯人を死刑に」 という主張を放映しました。最高裁の弁論を欠席した安田弁護士は強い批判を受けました。私も抑制の効いた本村氏の主張に最初は心動かされた一人です。一方でマスコミの過熱ぶりには違和感がありました。少し時間をかけて冷静に考えてみました。ひとまず本村氏には道徳から宗教へと超えることを望みたい。つまり加害者側の反省と贖罪の生き方を見届けるという心境になってもらいたいと思います。十数年ですべて許されるような形ばかりの 「無期懲役」 とは違う、本当の意味での懲役刑が整備されることも必要です。これを機会に死刑制度について考えました。そして死刑制度の是非についての議論は際限ないことを知りました。
アメリカはもっぱら矛(ほこ)で、日本はもっぱら盾(たて)で日本の安全保障は何の矛盾もない。このように最近の小噺はできが悪い。落ち着かないでいるところに昨年9月に91歳で死去した後藤田正晴氏の新聞切抜きが出てきました。「国民全体が保守化し、政治家がナショナリズムをあおる。大変な過ちを犯している。アジア近隣諸国との友好こそが大事なことだ」 とありました。