文豪トルストイの「アンナ・カレーニナ」を読もうと考えて、新潮社の木村浩訳による文庫本の上・中・下3冊を病院のベッドに持ち込んだ。この歳で初めてトルストイを読むことにした。5日間の担当看護士さんは目まぐるしく変わり、そのうち一度だけは夜勤の男性看護士だった。メモを取りつつ読んでいると、何をしているのかと彼は聞いてきた。
読み終えることができなかった下巻は、退院後の1週間で読んだ。あまりにも有名な「幸福な家庭はすべて互いに似かよったものであり、不幸な家庭はどこもその不幸のおもむきが異なっているものである」で始まる。読後に感じたのは、140年近く前に書かれたとは思われないほどのみずみずしさだった。それとトルストイの、とくに女性心理の洞察力の鋭さである。いくつかの夫婦喧嘩の場面で、口から出た言葉と口には出さない心理の二重描写を共感して読んだ。
トルストイは34歳で18歳のソフィヤと結婚している。作品中に「自分の愛しているひとりの女房をちゃんと理解すれば、何千という女を知るよりもはるかにすべての女を理解できるようになるっていうからね」という文句がある。トルストイは、求道者としての自己矛盾とソフィヤ夫人との家庭的葛藤に悩まされ「残された人生の最後の日々を孤独と安らぎの中に生きるため」と家出の直後、82歳で死去している。
アンナは夫との愛のない日々の倦怠から、青年士官ヴロンスキーの若々しい情熱に強く惹かれ二人は激しい恋に落ちてゆく。しかし嫉妬と罪の意識に耐えられず、誇り高いアンナはついに悲惨な鉄道自殺をとげる。冒頭に「復讐はわたしのすることである。わたし自身が報復する」という寸鉄詩がある。つまり道をあやまった女を罰するのは人間ではなく神のなすべきことであるとトルストイは言う。その一方でアンナはトルストイの理想の女性像でもあった。
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