玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

抑圧からの解放

2006年11月06日 | 捨て猫の独り言

 高校必修科目の履修漏れで01年に広島で02年に兵庫で元職を含む校長と県教委幹部が処分を受けたことなど知らなかった。私のところでは受験のためだけに高校の勉強があるわけではないという方針でやっている。受験に対応したカリキュラムを望む一部の欲求を頑なに押し止めてきた。学習指導要領が約一割の高校で守られていないことなど高校現場では常識に属する。だから今回の大騒ぎはなぜという思いが強い。仕掛け人は誰か。

 ベテラン教師が最近の生徒の計算力のなさを嘆いていた。中一の代数を担当しているが同じミスを何度も繰り返すという。プロ野球日本一の日ハムのヒルマン監督の口真似で 「シンジラレナ~イ」 と言い残して教室を出てきた。そしてつぎの授業では怒りの宿題だとプリントの束をしごいていた。生徒がそのプリントを見たら今度は生徒が 「シンジラレナ~イ」 という番だねと私が言うとその教師はクックックッと笑いをこらえていた。

 日本の生徒の学力低下は本当か。私はそれほど悲観していない。自分の怠惰な大学生活を顧みてトータルでは今も昔も同じようなものではないか。アメリカの大学初年生と日本の学生と比べてみる。アメリカの方が知識量でははるかに劣っている。しかし論理的に考えて表現し行動することにかけては充分な訓練を受けているから論争になったりした場合には日本の学生はとてもかなわない。そんな反省からゆとり教育が導入されたのではないか。討論や小論文重視などまだ始まったばかりである。

 日本人の多くは学校に何か息苦しさを感じている。しかしそのような抑圧からの解放も一気に成就されるものでもない。例えば家の抑圧から解放されて核家族になって老人が孤独に生きねばならなくなったように何らかの副作用も出てくる。私は抑圧の側にいる。受験科目だけを教えよという欲求などを 「学力の値切り」 と私は呼んでいる。解放の過渡期において生徒はどのように現象するのか興味はつきない。ここ2年ほどのことだが学校で生徒からさん付けで呼ばれた。まだ数は多くはない。友達感覚で接したいのであろう。マナーが悪く教師は授業以外のことで疲れることが多くなった。これらは無意識下の値切りと思う。

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1 コメント

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知識の詰め込み教育と思っていたら、いつの間にか... (東京遊民)
2006-11-07 02:34:19
知識の詰め込み教育と思っていたら、いつの間にか知識(世界史)が勝手にカットされていた。日本人がアジアの近代史を知らず、欧米人に指摘されて恥ずかしい思いをする話も聞きます。いまになって大学人からも公知の事実が語られます。ブログ発信の時代、これからはくさいものに蓋もなくなっていくのでは?突然の報道洪水にびっくりです。
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