玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*検索しヒットした

2009年03月10日 | 捨て猫の独り言

 長い人生の中で無関心であったことの一つに宗教があります。そのマイナスをカバーするかのように最近の読書傾向として宗教がらみのものが増えました。もとより宗教に深く帰依せざるを得ないような事態ではなく、ごく平凡な教養主義的な動機からです。これから仏教は瀬戸内寂聴、キリスト教は遠藤周作、日本の神々は前登志夫や白州正子などを通して学ぶつもりです。まだそれぞれ1冊ほど読んでみたにすぎません。

 そのうちの一人である遠藤周作(1923~1996)の本は1983年に光文社から出版されたインタビュー形式の本 「私にとって神とは」 でした。私の信仰は 「無理しない」 「きばらない」 ことの上になりたっているとあとがきにありました。すらすら読めました。生涯のテーマが 「キリスト教と日本人」 で 「沈黙」 や 「深い河」 が代表作だそうです。

 この作家のもので2冊目は1970年に講談社から出版された 「狐狸庵閑話」 という抱腹絶倒の珍談・奇談の随筆集でした。その中に古今馬鹿集、万尿集、放尿記 乞食、糞土記、くみとり物語、さらした日記、ドサ日記、贋物語、源痴物語などが出てくる一文がありました。さてさてこの傾向のことを表すカタカナ語があったはずだと考えましたがなかなか思い出せません。この言葉探しを解決してくれたのはネット検索でした。

 ためしに排泄物嗜好と入力してネットで検索してみました。即座に 「スカトロジー」 に辿りつくことができました。そこには著名なスカトロジストとしてフロイトとモーツァルトが上がっていました。ためしに我家の国語と英語の両方の辞書を引いてみましたがスカトロジーが載っていません。これはどうしたことでしょうか。それにしてもネット検索の威力に今さらながら驚いています。関連して思い出したことがありました。それはオムツの孫が最初は椅子の上で顔を真っ赤にしながら排便していたのに、そのうちテーブルの下に潜りこんで排便したことです。せつなくもけなげと感じた瞬間でした。 

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